★20日★ ミズタニ展オープニングパーティー

▼「ミズタニカエコ作品展」会場風景。写真下は夕刻その場に居合わせた人たちで自然に始まったオープニングパーティー。
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=開催中=
「めらんこりあⅠ」
【ミズタニカエコ作品展】
-原民喜へのオマージュⅠ-
ペン画を中心に水性マーカーや筆による絵画、
他にコラージュと立体も。

2007年10月19日(金)~10月30日(火)
10/24(水)・25(木)定休
午後2時~7時 [ ※最終日~午後6時 ]





◆平明の堂守日記◆2007・10・20

ミズタニカエコが好きだという原民喜は、奇しくもわが父と同年、一九〇五年の生れである。父は一月に広島県福山市、原は十一月に広島市。

父は大正末ごろアナキストとして運動に加わった。原も同じころ左翼運動に関心をもっていたようだ。

父は故郷に帰り、小説を書きはじめる。昭和五年(一九三〇)、当時小説雑誌だった「サンデー毎日」の大衆文芸特集号に応募し入選している。題は『機械と喧嘩した野郎』、プロレタリア文学の傾向を反映した内容であった。挿絵はマボ(未来派)の画家・村山知義であった。村山は戦後、小説家として知られるようになる。

また戦時色が強くなったころ「中央公論」の小説公募にも入選している。戦時のため同誌に掲載されず。原稿も残っていない。

父は昭和十五年(一九四〇)、食うために新聞社の福山通信部に中途入社、昭和二十年(一九四五)六月、三原通信部から広島支局に転勤、単身赴任で新聞社支局に当直で泊まっていた八月六日、市民(非戦闘員)としてアメリカが投下した原爆によって殺された。無差別大量虐殺の犠牲となった。享年四十歳。

原は中学のころから文学に親しんでいた。その後、どのように文学者の道を歩んでいったかは、父とちがい作品も公刊されているし評伝も出ているから知ろうと思えばそう難しくはない。
〇原民喜作品は「青空文庫」でおおかた読める。
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person293.html

原は慶応義塾大学英文科卒。ワーズワースで卒論を書いている。「三田文学」に詩や小説を発表。昭和二十年一月、東京から広島市に疎開、八月六日被爆、その体験を『夏の花』などに書いた。一九五一年(昭和二十六)、東京で鉄道自殺をした。享年四十六歳。

なお、原の妻・貞恵は昭和十九年に病死している。妻の弟がのちの文芸評論家、佐々木基一である。

……………

※※[毎日更新しているブログみたいな場所に書くような題材ではないのでこのへんでやめておく。]
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by amanedo_g | 2007-10-20 23:43 | show 展覧会情報
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