「あまね通信」59号、天音13歳●漫文●「あまね通信」59号掲載(941108発行) 【絶望しすぎず、希望をもちすぎることもない】・・・・・・・・・・山口平明 会議は大きな円卓を囲んで開かれ、朝八時に大阪の自宅を出て阪神電車の神戸三宮駅に降り立った僕は、海側にあるビルにたどりつくまでしぶり腹をなだめながら「三時間もの会議に耐えられるだろうか」と思いを下腹部に集めて歩きつづけ、飯食い仕事なんだから我慢我慢と自分を励まして、今日あることを考えれば昨夜の泡盛四三度オンザロックスは控えるべきだったのよね、と毎度お馴染みの酔余の果ての反省におちいりつつ、「本日のご意見を事務局が持ち帰って検討させていただきます」と司会がまとめの言葉を言うのを聞きながら、会議は踊らず我が腹は踊りぬ、なんてねとひとりごちて、気詰まりな出席者との昼食は遠慮させてもらい、今日は自分の出た中学校あたりへ行ってみようとかねてより心づもりをしていたから、JR元町駅方面へいざ進め(お腹に力をいれたらいかんちゅうのに)、カメラとテープレコーダーの入った鞄の重さを呪いながら、来たときと逆の山側に向かってゆきゆきて神戸である。 中学校を卒業して三十六年も経つから、あたりはすっかり変貌しているとはいえ、元町駅の北側の道路は昔と変わらず高架ホームと同じ高さまでもちあがっており、この町独特の勾配がもたらす上下の視野の変化もまたかつての地形を憶い起こさせるに充分で、駅からも見えるはずの高い金網で囲われた学校の建物はまったく建てかわっており、愛機ミノルタα9000のズームレンズを二四ミリの広角にして校門と校舎を撮影し(いずれそのうち神戸で過ごした少年時代のあれこれを書きたいのでこんなことをしている)、兵庫県庁が見える山手の道をひとまわりして、町なのに山麓を水平に歩くようにして東へ足を向け、帰路は阪急電車で三宮から大阪梅田まで戻ってきたのはもう秋の午後も遅い時間であった。 梅田の紀伊國屋書店の店先には、ノーベル文学賞を受ける大江健三郎さん(よかった、実によかった、自分の身内のことのように嬉しい、スウェーデンという福祉に力を注いできた場所に住む人々が選んでくれた賞だもの、文学賞というより「障害児と人生・生活・生命を共にした賞」と思いたい)の著作が並んでおり、彼の障害をもつ息子さんをモデルとしたイーヨーが登場する作品は、単行本にしろ文庫本にしろおおかた持っているのでそこは通り過ぎ、障害関係の棚を覗くと、表紙が見えるようにして数冊重ねてある『自立と共生を語る/障害者・高齢者と家族・社会』という本(三輪書店、一九九〇年十月刊)が目に入り、著者は大江健三郎、正村公宏、川島みどり、上田敏と見え、医師の上田氏が他の三人のそれぞれと対談する構成になっていて、これは面白そうだと買ったのはいいが、帰り道の疲れきった躰(この「からだ」という漢字は普通「体」と表記されるが、先頃亡くなった作家吉行淳之介が「躯」と書くのに気がついたときから、同じ読みの漢字なら「身体・躰・軆・體」などが残されているとして、「しんたい」と読ませたいときには「身体」と書くので、僕自身は残る三つのうち軆と體のなんとなく気にさわるツクリ(旁)を嫌って、結局「躰」を用いるようになったのだけれど、大江健三郎はずっと「躰」と書いているから、存外、大江さんの影響だったのかもしれない)には、そうでなくとも重い鞄に駄目を押したふうで、難渋しながら帰宅したのだった。 天音はこの三晩ほど眠れなかったせいで躰が硬くなって突っ張り、上半身を大きく捩じるのに抗して抱っこするのは難しく、ひとりで日中ずっと奮闘した細君の疲労を思えば、夕方までのひととき娘を抱いて時間を過ごすのは当然の成り行きで、買ってきた例の本を開いて大江健三郎さんが上田敏帝京大学教授から、医療従事者が患者やその家族に言ってはならないことがありますか、と問われて、自分と同年の医学部の先生と酒を飲んだとき、同席した二十七、八歳の若い医学者が《「あなたのお子さんは障害をもった子供だけれども、生きのびて、わずかながらでも仕事をしたりするということが希望だとあなたが書いていることは非常に甘いと思う。自分の病室に来れば、どうにもならない子供がごろごろいるんだ。それをどう思うか」といわれたのでした。僕は何も答えることはできませんでした。ただ、非常に傷つきました。それは僕が大人になってから一番傷ついたことの一つのようにさえ思います。確かにその通りです。そして僕はいくらか症状の軽い子供をもっていて、その症状の軽い子供を軸にしてたとえばリハビリテーションの問題とか、障害児の福祉の問題などをしゃべっているわけです。暗い淵が開いている所にいながら、暗いほうは見ないで、少しでも明るいほうを見ているという感じが僕の言論にはあると思い、そのことはいまも心に残っています》と答えて、すぐ言葉をつないで《ただ、僕はもしあの時、家内が一緒に横にいたとして、「あなた方ご夫妻は軽い症状の子供を通じて障害児のことを考えている。自分の病室にきたら、ごろごろ絶望的な人間がいるから、それを見ろ」といわれたとしたら、僕はその若い人を許さなかったと思います。そういうふうな胸に突き刺さることがありました。しかし、確かにあの若い医師がいわれたことは事実なんです。しかしそういう事実をどのようにして傷つけず伝えることができるかということが問題ではないかと思うわけです》と大江さんが言うとき、僕は目の先の台所で立ち働いているわが細君が、天音との生活で受けてきた傷のあれこれを思わざるをえない。 上田教授は、若い医師がもっと重度の人がいるのにあなたは甘いと言うのは悲しいし、それは一面的だと応じ、《たしかに下には下があります》と言ったのにはユーモアすら感じとられるとともに、障害の程度はやはり上と下の関係になってしまうのか、権力の最高位にある者が人間に等級をつけて勲章を与えるのとどこか通じていないか、と「どうにもならない」「絶望的な」重度の娘を授かって十三年余り、病院や施設にお世話にならず自宅で一緒に暮らしてこれたのは、きっと細君にも僕にもあった《暗い淵が開いている所にいながら、暗いほうは見ないで、少しでも明るいほうを見て》生きてきたからにほかならず、上でもなく下でもない、かといって中途半端という意味での真ん中でもない細君と天音と僕が「響き合い」一体となったイノチのこの場所にしかない今の在り様を発見しつづけてきた魂の旅だったんじゃないかと信じている。 大江さんとおぼしき主人公の僕が、連作短編集『新しい人よ眼ざめよ』(講談社文庫、一九八六年六月刊)の先頭に置かれている「無垢の歌、経験の歌」において、十日間のヨーロッパの旅から帰って成田から家に向かうタクシーの中で妻から留守中に起きた息子イーヨーの異変を伝えられる場面は、障害が軽いだの重いだのと等級をつける無意味さがよく示されているから少し書き抜いてみるが(ぜひ読んでみてくれい)、イーヨーの養護学校の級友と母親らが砧ファミリーパークに出かけ、子供が鬼になり各自の母親を追いかける鬼ごっこを始めたと思いねえ、《他の母親たちと一緒に駈け出した時、息子は遠目にもあきらかな逆上ぶりを示したというのだ。怯えて立ちどまった妻に、追いすがってきた息子は、体育で習った柔道の足払いをかけた。うしろむき真っすぐに倒れた妻は、頭の皮膚から出血したのみならず、脳震盪をおこしてしばらく起ちあがれぬほどであった》うえに、その日帰宅してから、弟を羽がい締めにしたり、なにかと兄に心づかいをする妹の顔の真ん中を拳で殴ったりし、別の日には《皿にあるものをわざわざ一度に頬ばってむさぼるようにする息子の、おそろしく早い食事に遅れて、妻たちが食堂の隅にかたまって夕食をつづけていると、台所から庖丁を持ってきた息子が、両手で握りしめたそいつを胸の前にささげるようにして、家族とは反対の隅のカーテンの脇に立ち、暗い裏庭を見つめて考えるようであったという…/…病院に収容してもらうよりほかないかと思ったわ。身長も体重もあなたと同じなのだから、私たちには歯がたたない…》と母親に思わせてしまったイーヨーは、父の今のこの場所における不在を死と結びつけているのであり、おまけに母までが砧ファミリーパークで自分を捨ててしまう仕儀となっては生きていけないと感じたのである。 先の本にあったように、若い医師の言葉に傷ついた大江さんは、「そうですね、よく考えましょう」と年をとった者らしく応じたものの、家に帰り塞ぎこむのに対して、何があったのかと夫人が問うのへ「若いお医者さんが重症の子供をみていると、ニヒリスティックになるくらい苦しいらしい」と話すと、大江夫人は《「たくさんのそういう苦しいお子さんたちがいるのを見たら、どんな強い心をもった人でもまいってしまうでしょうね、私なんかは、自分の子供ということで具体的にみているからいろいろなプラスの要素がそこから引き出せるように思うけれど」といいました。僕は、ああ、こういうことをあの人にいったらよかったなと思ったんです》との言葉に重ねて、光さん(イーヨー)が生まれた翌年に書かれ始めた『ヒロシマ・ノート』で、重藤文夫(広島原爆病院長、当時)との出会いからその姿を《広島の現実を正面からうけとめ、絶望しすぎず、希望をもちすぎることもない、そのような実際的な人間のイメージ》として表現した言葉をも思い出すのだが、これらは生きるための定義とも思える箴言(しんげん)あるいはアフォリズム(警句)としてここに掲げておきたい。(一九九四年十一月二日記す)
by amanedo_g
| 2006-02-11 19:44
| haymay 山口平明
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