【16日】

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【山口ヒロミ銅版画展】来週~19日まで。





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■【そぞろ通信】12月号======================2002-12-16*第15号
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━編集発行人:山口平明━━
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■毎月一回病院通いも漫歩系sozoroaruki

  自分で自分のことを決める不安

 自分の体のことなんだから、自分の意志決定を大切にしたいと思う。
だがなかなかそうはいかない。脳梗塞になって手術後、五年以上も血を
固まりにくくする薬[抗血小板薬]を毎日飲み続けてきた。

 この薬は副作用による死者をだしていて、もう何度も新聞に書かれて
きた。死にいたるような人は、血液検査を怠った場合がほとんどだとい
う。服用後、二か月以内に合わない人は副作用が出るらしい。

 手術してもらった病院に毎月一回、診察と薬の処方をもらうために出
かけている。脳外科の医師は五年間で四人も替わった。今の人は今春か
らだ。前の医師にも今の医師にも「この薬を外せないか」と言ったのだ
が、もう長く飲んでいるから今ごろ副作用はでない、と言い、薬はずっ
と処方されている。

 去年、副作用で全国の死者何十人と記事にでたころから、ぼくは一日
二回飲むその薬を一回にしてきた。今の医師になった今年もまた死者が
出たと新聞に載ったから、最近はもう飲まないようにしている。薬がも
ったいないしおカネも無駄、でも医師の手を離れて病院にかからないと
いう決心はつかない。

 自分の体なのだが、こうするぞ、と決めがたい。この薬が肝臓に悪い
のは医師も認めるところ。肝臓は眠れる臓器といわれ、よほど悪くなら
ないと疾患は発見しにくいらしい。薬をやめるわけにいかないのは、医
師のほうも同じだろう。他人(患者)の体であっても死んだら責任を問
われるから、薬を外しましょう、とはいかないわけだ。

 娘の天音の抗ケイレン剤でもまったく同じ状態だった。いっこうに発
作はとまらないのに、薬は存命中ずっと二十年ちかく処方された。ひと
つの薬では心配なのか数種類も投薬された。妻は、年をへるにつれだん
だんと薬を適当に減らしていった。だが完全にやめはしなかった。

 最期の入院時、検査で肝臓が悪化しており、主治医ではない医師が
「過去に輸血をしたことはありませんか」と何度も聞いてくるほどだっ
た。天音は輸血どころか入院さえほとんどしていない。肝臓の悪化は、
永年の抗ケイレン剤などの薬の所為seiだと思っている。

 でも死者が出つづけているのに、行政が医師に注意して投薬しろ、血
液検査を二か月に一度しろといっても、こっちは副作用で死ぬよりも脳
梗塞の再発で死ぬほうがいいや、となる。血液検査やMRIをしないと
判らない病気なら、再発予防に努めるほうがよいのではないか。

 なるべく自然にして暮らしたい、これが小生の願いだ。けれども既に
もう脳外科手術は受けたんだから、お前はもう自然に暮らすなんぞは無
理といわれるだろう。急性期では、医師の説明をすべて受け入れざるを
えなかった。今では自己の疾患について患者として勉強した。

 たとえば食べ物。前から注意していたが、現在は偏らない「粗食」を
心がけている。大きなストレスは早めに避けるようにもしている。それ
に日課としての散歩(漫歩)も続行中。

 毎日こわごわ危ない薬を飲むよりも、日々の暮らしを自然に送るほう
が自分でも心から納得できる。薬代は国にも小生にも無駄ではあるが、
医師も免責され、患者の小生ももしものときにかかりつけの病院と医師
がいるという安心感は確保できる。

 もっとも心臓の薬は毎日飲んできたから、これで肝臓がやられたら仕
方がない。これも飲むのをやめようかと思うが、倒れる前のような心臓
の重い不整脈(心房細動)や立ちくらみはなくなったのでやめるのは難
しい。皇室の誰かのように、心室細動で一気に死ねばそれまでだ。

 少なくとも心臓の薬は医師に処方してもらわねばならない。もうひと
つの例の薬も受け取るが、自分の体なんだから自分で判断決定して飲ま
ないことにした。でも気持は揺れている。間違いない判断なんてありえ
ないから、まことにユルイけれどこのへんが体と心の落ち着き先かと自
得している。

 そんなこと言うてるけどオッサン、あんた酒はどうなりまんねん。あ
れは肝臓に悪いのとちゃいまんのか。グゲッ。痛い床屋。

 酒は血流をよくする働きがある。もちろん肝臓には悪い。おたくさん、
酒の副作用にはいたく寛大やないか。病後は人とのつきあいでだけ酒を
飲む。まあ、自然流にたしなむといった程度。もともと晩酌などという
偉そうな振る舞いはしていなかったけれども。病を得て自分の体をほん
の少し解ってきたといえる。

 十一月十三日、ぎっくり腰をやってから三週間、来客時にも酒には手
をださず、話相手だけをつとめた。三人の来客がつづいたとき苦もなく
我慢できた。老化の自覚と「療養息災」が、莫迦なりに身についてきた
わけだ。

     *

 福田定良が死んだ。八十五歳。腎不全と新聞の死亡欄にでていた。近
年、マスコミで文章を見かけないなあと思っていた。略歴にある著作の
うち、『めもらびりあ』は八雲書店から一九四八(昭和二十三)年に発
行された。

 書棚を探したらすぐ見つかった。珍しいことだ。酸化し茶色い紙の束
となっている。奥付を見ると初版本で、「定價八拾五圓」とある。本を
開くと崩れてしまいそう。昭和二十三年はぼく五歳だから、もちろんこ
れは二十代のころ古本屋さんで買ったもの。見返しに鉛筆で「100円」
と記してある。読みたいだけでなしに所蔵したいと思ったから、定価よ
り高いのに買ったのではなかったか。

 この本に《所有するということなしに自由に物に結びつくような生き
方》とあったが、よく解らなかった。かつて付箋をはさんだ頁を眺めな
がら、年をとってもよく解らないもんだ、と思う。

 福田は、お寺の子どもだが父母は養親であった。僧侶になるのを嫌い、
徴用衛生工員としてすすんで戦場に向かった。マラリアの防疫作業が任
務で、班長にならされ兵隊と工員の間に立って右往左往する。敗戦で帰
国するまでを書いている。三十歳ごろの作品だ。

 はまだら蚊のぼうふらを採集していた人は南方から生還、このときか
ら六十年ちかくも経った。《……私の至らなさも、日本に帰ったら、ほ
ろびるところまで自己をほろぼす努力によって、とりかえしがつくだろ
う》という終章の結語を眼の前にして、ぼくは冥福を祈る気持とともに、
これからもう一度あらためて著者に出会いたいと思っている。

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■@餓鬼[編集後記]

○今月も前号につづき短い。前号の感想では、短いのは読みやすい、物
足らないの二つに別れた。今回はもっと短くしてみました。これ以上短
くすると、発行間隔も短くしないといけなくなりそうです。それは無理
だから、まあそのときの気分で気ままにやっていきます。
○人気HPの「ほぼ日刊イトイ新聞」を紙の単行本(講談社)で読んだ。
著者はもちろん糸井重里。ウエブという新しい器に古い日刊新聞を盛り
つけたのが面白い。実際にのぞいてみると、その中身は笑いに充ちてい
る。内容の更新が日刊だからいつも「NEW」なのだ。メルマガもHP
の最新版を読者に届けるのが受けたともいえる。「そぞろ通信」は、H
Pをもってない。そろそろ考えないといけない。楽しいからやれている
のは、一日50万アクセスの「ほぼ日」もわが「そぞろ通信」も同じだ、な
~んちゃって。十四日の土曜日に大阪難波高島屋のあたりで、糸井氏を
見かけた。こういうのを共時性っていうのかしら。
○本年最後の「そぞろ通信」です。今年も読んでくださりありがとうござ
います。来年もお送りしますので、ご愛読よろしくお願いします。

●「そぞろ通信」ハココマデデス ホナマタ
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by amanedo_g | 2008-08-16 20:30 | haymay 山口平明
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