【平明文集】☆「そぞろ通信」32号☆2004-5-16 配信分

〇堂守こと山口平明が過去に書いたテキスト(文章)を再録転載しています。
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★そぞろ通信★5月号*2004_5_16
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発行☆山口平明(大阪・天音堂G)
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■もくじ■

[1]連載[あの頃] 五年前、十八歳の天音と_/~山口平明
[2]パソ抜き書き【田中小実昌】「西田経」より
[3]連載[家事細見帖] 風呂掃除の巻_/~岡本尚子
[4]編輯後記[あの頃をよすがにして]_/~haymay山口

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■1■《archives》十八歳、天音の四季をたどる[一九九九年四月]

【母は母を辞めたいのよ】

四月五日★天音は先週の発熱から少しずつ恢復している。すぐ熱は下
がったものの、呼吸不全はあいかわらずつづいている。呼吸不全へのス
イッチは発症直後ほどはいりやすくはないものの、抱っこせずにソファ
に横たえておくと、くちアングリの状態から過呼吸症におちいる。

 これをやられて「カッ、カッ、カアー、グァッ」と声にならない状態
を眼にすると、天音のかたわらに母か父は駆けつけなければならない。
父は技術面で下手なので、どうしても母親におまかせになってしまう。

 天音はこのごろではたいてい午前三時前後には寝ついているようだ。
睡眠時間はその日によって異なり、四~八時間ぐらいである。赤ちゃん
のころからつい三、四年前まで、現在のようにつづけて眠れなかった。

 出産時の脳損傷により難治性のてんかんになって、深夜になり寝つき
そうになると痙攣発作が頻繁に起きる。あの苦しい夜々を重ねた生後十
数年を思うと、現在なんか楽なもんである。ところが親のほうがかつて
のような体力も気力ともなくなってきた。親子ともども加齢にともない
生命の解体にむかって、不可避にして不可知なプログラムを歩んでいる、
ということか。

 私は天音より遅く朝の四時か五時にしか寝つけない。連続して三、四
時間眠れたらいいほうだ。おそらく一昨年(一九九七)七月の脳梗塞に
よる入院手術などの後遺症だろう。私は不眠をさして深刻には考えてい
ない。病熟れ(やまいなれ)、病気を飼い馴らしている状態をこのよう
に呼んでいる。

 寝ついて一時間もすると目覚めてしまうときもあり、こんな場合は新
聞や本を読みながら睡魔の襲ってくるのをゆるりと待つ。午前十時過ぎ
から昼過ぎまで眠って起きる日もある。

 眠れない夜中は、日記を書いたり本を読んだりして過ごす。眼が疲れ
ていると思えば、明かりを消して寝床でラジオを聞く。NHK第一放送
の「ラジオ深夜便」が愛聴番組だ。昭和初期の歌謡曲がかかると、自分
でも不思議なほどよく知っているのに驚く。(松下竜一氏が立松和平氏
とともにこの番組の対談に出演されたのは残念ながら聞き逃した。)

 若者向けの深夜番組の多いなかに、この深夜便は大人というより中高
年者向けの内容と構成になっていて、落ちついて聞けるのがありがたい。

 長くラジオで毎日(平日のみ)トーク番組に出演されている秋山ちえ
子さん(自称、ラジオ職人)が放送関係の雑誌に「映像のあるテレビは
思考の範囲が限られ固定される恐れが大きく、ラジオは言葉と音で脳細
胞の働きを活発にし想像力はふくらむしボケ防止にいい」みたいな考え
を書かれていた。ボケ防止とは言いえて妙、脳梗塞をやった私なんぞは
ボケになりやすいといわれているから、テレビをだらだらと見てないで、
ラジオを聞くべしと身に沁みて思う。

 深夜番組ではなくとも平日の日中、中波のラジオ放送は仕事で車を運
転する人やお店や居職の人などもよく聞いているものらしい。

 大災害のとき電池を電源とするラジオが大いに役立った例として、一
九五二年三月の十勝沖地震(マグニチュード八・一)に、たまたま取材
で弘前の旅館にいた秋山さんはラジオから聞こえる落ちついたアナウン
サーの声と言葉による情報が、市民の動揺する心をしずめていたことを
あげている。テレビは画面が乱れて横線と雑音だけだったという。(日
本放送出版協会発行の「放送文化」94年7月創刊号収載のエッセイ「あ
なたと家族の命を守るのはラジオです」による)

 このように秋山さんが書いた半年後の一九九五年一月、阪神淡路大震
災は起きた。神戸のラジオ局が生活に密着した情報を送りつづけて、被
災地の市民に役立ったときいている。私自身も神戸育ちという関係もあ
って、ヘリコプターから撮影のテレビ映像よりも、聞き覚えのある地名
の聞こえる神戸発の民放ラジオを始終かけていた。

 ラジオそのものは横6センチ縦十センチ厚さ一・五センチの小さなも
のを愛用している。枕許にひとつ、仕事机の脇にひとつ、なにかしなが
らでも聞けるのがラジオのよいところ。枕許のも一時間聞きつづけると
勝手に切れるようになっている。眠ってしまっても大丈夫というわけだ。
アルカリ単四乾電池が二本、これで随分もつ。

四月八日★先週の水曜日三月三十一日、妻君のヒロミは銅版画教室を
天音の発熱で休んだ。昨夜(四月七日)の教室では月刊誌「母の友」八
月号の絵の刷りを二回して二回とも失敗したらしい。疲れきって帰宅し、
食事、天音との入浴、抱っことクタクタになる。

 夫婦喧嘩、きっかけはいつものささいな言葉の行き違い。時間をかけ
た言葉のやりとり。その間、天音は母にたいてい抱かれている。

 この夜は天音は徹夜し朝六時から昼過ぎまで眠る。母のほうはもろも
ろの疲れがでたのであろう、午前二時から昼までぐっすり寝た。私も天
音と同じような時間帯で眠れた。

 天音は白い痰を喉や鼻から咳とともに出している。八日の夜半(九日
午前零時過ぎ)父が天音を抱っこしていると、突然顔が白くなる。きつ
いチアノーゼだ。

 母が胸を抑えつけながら息を吐かそうとするが、息がなかなか出ない
ので苦しがる。大きな声が出れば息が吐きだせるわけだから、母の掛け
声に合わせるように眼をむき額に皺をよせながら「ハアーッ、ワアーッ」
とやっと声がしぼり出される。

 息がもどるまでこのかん十分ほど。そういえばチアノーゼを起こす前
に私が抱っこしていたとき、生あくびを数回していたのだった。よかっ
たねえ、天音ちゃん、この世に生還したねえと母と父は文字通り胸をな
でおろして、こんなことがいつまで成功するのか、という心配は頭から
振り払うようにして、今だけを生きるようにしようね、といつもの黙契
をお互いに交わす。昨夜の夫婦喧嘩を忘れているわけではない、お互い
に。

四月十日★ASさん来宅。ヒロミさんが銅版画に使う着古したTシャツ
をたくさん持ってきてくれる。インクの拭き取り用に使い捨てのボロ/
ウエスとして、ケバのない洗いざらした綿のメリヤス下着やTシャツが
最適らしく、私もまだまだ着られるTシャツを供出したこともたびたび
なんである。

 ASさんは先月まで大阪生野で保母を長らくしていたのだが、障害をも
つ息子(中学生)と一緒の時間をもちたいと仕事を辞めたのである。夫
さんは障害者の共同作業所勤務であり、当面は貯金を崩しながら暮らし
ていくとのこと。うちら貯金どころか生命保険も解約してお先まっくら
や、と貧乏人同盟の熱き連帯の挨拶をかわしたいところなれど、おそら
く貯金額のレベルからしてちゃうやろなあ、と弱気になる私であった。

四月十一日★日曜日の午前中は妻君は真田山公園の市営プールへ行く
はずなのだが、本日は別。京都岩倉にある教育(山の分校)と出版(講
演録のブックレット)の論楽社へ月に一度の例会にお話をしに出かけね
ばならない。二月末に依頼を受けたときはヒロミさんにということだっ
たが、天音の調子が平常にもどってないので私が代理で行くことにして
いたのだった。

 このとき私は大失敗をやらかした。お話がすんでちょっとお食事でも
とすすめられたのがそもそもで、酒気を帯びるとアキマヘン。とんでも
なく長居をしてしまい、その日のうちに帰宅せよとの寮則(病後の取り
決め)を破ったのだから、妻君の怒りは天を衝いた衝いた。このところ
喧嘩ちゅうか、妻君に怒られることが多いような気がする私である。

四月十二日★難航の「母の友」八月号の銅版画とエッセイ原稿を送り
だして、ヒロミさんはほっとしている模様だ。でも昨日の私の不始末に
よる不機嫌さは持ち越しである。「結局やね、何が起きても何があって
も、天音の世話は私がやらんといかんのやから。ほんとに不公平ねっ」

 お説ごもっとも。ただ平謝りの私である。夫婦のもめごとにつきあわ
された天音は、げっそりと頬の肉が削げたように見える。母がおちこん
でいるから、その気配を皮膚感覚で察知した天音はストレスで痩せてき
たとのご意見なのである。お説ごもっとも。娘にもゴメンと平謝りの私
である。

四月十三日★今日は日曜日じゃありません。でもヒロミさんは午前中
にプールで泳いできてご機嫌がなおったのです。行ってもらってよかっ
たあ。私は朝五時まで机にむかっていじけながら、妻君の悪口をメモし
たり心の修養になるような本を読んだりしておったのです。

 妻君は母を辞めたがっている。だのに天音はますます母でなくてはな
らないのだ。厄介なことだ。されど天音の存在と暮らしぶりを友人知人
に知らせようと出したミニコミ「あまね通信」の文章がまとまり立派な
本になった。『寝たきり少女の喘鳴(こえ)が聞こえる』一九九五年六
月、自然食通信社刊。天音の美しさを残したいと描き始めた絵が、今で
は銅版画による挿絵を雑誌に描かせてもらうまでになっている。母よ、
母を辞めてどうするの?  (初出「草の根通信」一九九九年七月号)

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■2■王強い嗚呼流[パソ抜き書き]●田中小実昌●
『なやまない』一九八八年二月 福武書店所収「西田経」より

【水と小さな流れと細かな砂、そこに自由が】

 《森林植物園の坂道は、やがて、ほそい流れのよこをくだっていく。
山から涌きでた水だろうか。透明な水がながれ、水の底のこまかな砂が、
ときおりふわっとふきあがる。べつにメダカが砂をさわがしたり、なに
かの小動物がいるわけではあるまい。水とちいさな流れと砂の、かろや
かな自由なうごき。意志も規正もないところには自由もない。ふつう考
えられてるようだが、はたして、そうだろうか。水や砂など意志をもた
ない(たぶん)無機物のうごきを自由(!)と見るのは、ただ見るニンゲ
ンの感じだけで、自由はニンゲンの側のものと言われるだろうか。でも、
この水とちいさな流れと砂のうごきは、自由! と自由の実在をしめし
てるみたいだ。》

〇田中小実昌(一九二五~二〇〇〇)訃報
日刊スポーツ[2000年2月28日号]サイト
http://www.nikkansports.com/jinji/2000/seikyo000228.html

田中小実昌は天音と同じ二〇〇〇年に亡くなっている。七十四歳。こ
の記事を読むと、画家の野見山暁治が義兄になるんだよね。《隣に住む、
田中さんの義兄で画家の野見山暁治さんによると、田中さんは10年以
上前から糖尿病を患い、自分でインシュリン注射をしながらの生活だっ
たという。街中でもよく糖尿で倒れ、警察から連絡を受けることも数回
あった。「ああいう風来坊な男だったから、それでも大好きな酒はぐい
ぐい飲んでいた。倒れてはアメをしゃぶってよみがえる、ということの
繰り返し。いつかはこうなると家族も心配だったが、そんな彼を受け入
れていた」と話した。

〇野見山暁治2003年展覧会サイト
http://www.eart.ne.jp/museum/m_exhibition021.asp?no=11

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■3■連載[家事細見帖]風呂掃除の巻_/~岡本尚子

【桜月夜 ときどき神に 試さるる】

家の中で一番キタナイのは風呂ではないのか。髪の毛、黒ずみ、ヌル
ヌル…。やる気が出ない。

子どもたちと入っていると、目にも止まらないのだが、一人で入ると、
天井が黒ずんでいるなあとかタイルが汚れているなあとか、目につく。
ふだんは浴そうと洗い場の床しかそうじしない。

風呂につかりながら、壁の汚れが目に入った。ふと、昔、手痛くフラ
れた恋人を思い出した。

考えてばかりで行動に移さなかったあの頃…。今は、目の前にその人
がいたら、すぐそうじをはじめるだろうな。よし! 即行動するゾ! さ
っそく古歯ブラシで汚れを取る。

裸でそうじもカッコ悪いけどね。恋人は見ていなくとも、神様が見て
いるかも。風呂そうじはその日、神様の力で行なわれたのであった。タ
ハハ。

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■4■編輯後記henshukouki[あの頃をよすがにして]_/~へ~め~

◇やっと天音との暮しをふりかえってみる気持ちになってきました。そ
うして悲しみこそぼくのこころにそってくれるものなんだと感じていま
す。ふいに流れる涙が気持ちよくおもえてきました。

松下竜一さんが脳出血で倒れられて一年がたとうとしています。大分
県中津市に住んで、三十年間でしたか、ずっと月刊で発行されつづけた
「草の根通信」が、今年六月号で休刊になります。ぼくがここに六年に
もわたって書かせてもらったことは、ほんとにほんとに在り難くも得難
い経験でありました。

「1」の文章は、いまから五年前「草の根通信」に連載で書いたもの
です。まさか翌年秋にあの子が亡くなるなんておもいもせずに日々をつ
むいでいたのでした。あなたは五年前の春、どんなふうに暮していらっ
しゃいましたか。ぼくはこれからもうずっと思い出に生きたっていいじ
ゃないか、とかんがえています。

娘・天音とのたいへんだけれど愉しくてこころがみちたりた暮し。共
棲とよんでおりました。もっともっと「あの頃」のことを思いだして再
び書いていければいいのにと、たよりない自分の内側をのぞいているよ
うなあんばいです。
「そぞろ通信」の今月号から一年にわたって「草の根通信」一九九九
年四月から二〇〇〇年三月までの一年を日記形式で書いた文章を再録し
ていきます。パソコン画面での長文が苦手なかたは、プリントして読ん
でいただけたらうれしいです。本には未収録です。

◇「2」は田中小実昌の小説からの抜き書きです。久しぶりに抜き書き
をやってみました。六甲山麓で紫陽花をみたという叙述のあとに掲出の
文章がつづきます。そこかしこの路地で、紫陽花とであうのは雨の季節
のよろこびですね。こみさんといえば「風来坊」、とわに憧憬の存在で
す。

◇「3」の岡本尚子さんは、いつもおつれあいに文字入力してもらって
メールで送稿されてきます。お子さんから手が離れるようになったら、
きっと自分の手で打ち込んで送信してもらえるものと期待しています。
たのんまっせ~。

◇以前にもふれましたが、ぼくはインターネット上で雑文日記を書いて
います。テキストのみです。名称は【「天音堂ギャラリー」堂守そぞろ
日誌】といいます。広告が入るかわりに無料の日記書きこみサイトです。
ここのトップページのレイアウトが一新されました。

前より判りやすくなりました。お猿のボタンのかわりに左サイドのメ
ニューのなかの「更新お知らせ」をクリックしてもらい、あなたのアド
レスをいれるだけで、ぼくが新しく日記を書くたびにただちにあなた宛
てに更新案内のメールがいきます。

その本文に【「天音堂ギャラリー」堂守そぞろ日誌】のURLが出てい
ますので、クリックして読みにいってください。いちいちインターネッ
トのブラウザに頼らなくてもいいわけです。メールチェックのついでに、
平明くんの日記が読めるちゅうわけであります。でそのアドレスは。
〇まずココをクリック=》 http://www3.diary.ne.jp/user/348493/


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◎本誌は【1行32字】で改行、閲覧には【等幅フォント】が推奨です
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月刊【そぞろ通信】5月号_#32□2004_5_16発行配信
創刊2001-10-16□「あまね通信」改題通巻117号

編輯発行人□山口平明(天音堂ギャラリー)

※転載は全文をコピペ/引用や複製は典拠を注記/平明に一報されたし
※著作権は執筆者に属しますので、転載引用の時にはご配慮ください
※転送したいとき先様のアドレスを知らせてもらえば直接配信します
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*「そぞろ通信」涙雨の五月号ココマデデス。近況お便りください。
[PR]
by amanedo_g | 2008-09-02 00:10 | haymay 山口平明
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