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「あまね通信」48号、天音11歳11か月(1993年5月刊)

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娘の天音の様子を知友に知らせる便りとして、妻のヒロミが中心(編集長)になって夫婦で「あまね通信」といううミニコミを、1988年2月に創刊しました。
創刊号から60号までのうち、ヒロミの文章のみを一冊の本にまとめたのが『寝たきり少女の喘鳴(こえ)が聞こえる』で、自然食通信社から上梓してもらいました。1995年5月刊。
エキサイトブログでは【平明文集】というカテゴリーで、天音堂ギャラリーの堂守こと山口平明の文章、とくに単行本化されていない文章を掲載していきます。
とりわけ天音と共棲していた時代の文章を中心にしていきます。ご愛読くだされば書き手冥利に尽きるというものです。よろしゅうにおつきあいください。

あ通48号の平明文を読む
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by amanedo_g | 2006-01-01 18:18 | haymay 山口平明

【8月5・6・7日】広島行き

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★過去の日記★2005/08/05 (金) ヒロシマも還暦
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明日から二日間、例年のごとく広島へ参ります。

日記の更新(新しい記述)はおそらくできません。

戦後六〇年、広島はヒロシマとして還暦を迎えます。

平明Gもいつまでやってこれるやら。

公園のあのモニュメントは、
わたくしにとって父のための共同墓、
あるいは祈念の碑(いしぶみ)として存しています。

山口勝清、一九〇五年に生れ、一九四五年、爆殺さる。

念願の香月泰男の回顧展も見てきます。

○香月泰男展(ひろしま美術館サイト
「平和への祈り~その生涯とシベリア・シリーズ」)
http://www.hiroshima-museum.jp/special_top

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★過去の日記★2005/08/06 (土) 香月泰男展、ひろしま美術館
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■2005/08/06 (土) 例年のごとくヒロシマへ

◆【八月六日・その一】

朝七時新大阪発「のぞみ」、広島着八時二〇分、
ちょうど記念式典が行われている最中だな。
広島駅前から広島電鉄の市街電車(ヒロデン)で原爆ドーム前へ。
市内一五〇円。

大きな石を人力で運んでいる
ストーンウォークの一行がいる。昨夜、自宅のテレビ
(ニュース23)で見た米人女性が、立ったまま
テレビのインタビュウを受けている。
怪我をしたという右足は、ギプスと包帯で覆われていた。

○ストーンウォーク・ジャパン2005
http://homepage2.nifty.com/tomokonet/stonewalk/
○ストーンウォーク・ヒロシマ(ブログ)
http://blog.goo.ne.jp/tomokonet1012/

平和公園内にある供養塔の裏の扉前でお参り、合掌、
線香の煙がたちのぼる。
ここには特定できない遺骨が、
土饅頭の下の部屋に安置されている。
無縁無名の骨である。

戦後四十年にここへ来はじめた。かつてこの場所を
教えてくれたムツエに直電、
あの場所で待ち合わせることにする。

あの場所へ強い陽差しのなか、よろよろと向う。
そこは本川のほとり、厚生年金会館の裏手。
ここに「原爆犠牲新聞労働者《不戦の碑》」があり、
午前十時から碑前祭がある。参列、黙祷、献花。

中國新聞労働組合の皆さん、
毎年お招きありがとうございます、感謝多謝。

近くの【バッケンモーツアルト】でモーニングをとる。
○バッケンモーツアルト
http://www.b-mozart.co.jp/

平和公園の中を南から北へぬけて、
紙屋町そごうデパートの北のほうにある【ひろしま美術館】へ。

【ひろしま美術館】、
「香月泰男展 平和への祈り~その生涯とシベリア・シリーズ~」、
ひろしま美術館は地元銀行を母体とする財団法人が運営している。
~8月21日まで。千円。

香月泰男(1911~1974)のことを知ったのは、
内村剛介の著作に使用された装幀画によってであった。
たしか今から三十年ほど前のことになろうか。

内村剛介のその本は、たしか三省堂新書だった
と記憶している。そのあとも内村の著書の
表紙絵に使われていた。探せば自宅内のどこかに
残してあるはず。内村の著作はほとんどまとめて
古本屋に売り渡したけれど。

詩人・石原吉郎、評論家・内村剛介、
作家・長谷川四郎、画家・香月泰男らは
シベリア抑留者である。

なかでも内村は抑留期間が十年以上にも及んだが、
ソ連もなくなった現在では、抑留といっても
なんのことやら分からない人のほうが多いかもしれぬ。

絵そのものは、フォルム画廊で見たように憶えている。
これらの印象も強かったのだが、やはり文学との近接
という観点から香月泰男を好きになったのだった。

戦争への国家からの有無をいわさない召集、
敗戦国の捕虜として抑留されて、
存在の限界まで追いつめられながら、
生還したのち死ぬまでずっと
「わたしの戦争」を描きつづけたことは稀有のことである。

抑留前の「海拉爾」、ハイラルと読む。
あまりに単純な構成、色彩は黄土色と黒、
ハイラルの町が遠く下方に見え、
何本もの煙がゆらゆらと立ちのぼっている。たったそれだけだ。

この作品への画家のコメント。

《氷の塊りのようになった
真冬の海拉爾の街の底からのぼる煙に、
人間家族の温もりを感じた。
私はほかには何もいらぬ。
絵が描けて家族とともにいられるのならば。
その煙がうらめしかった。》

香月自身の言葉、この最後の部分、
「絵が描けて家族といられるのなら、なんにもいらない」、
これはもう文学に通じる表現への本能とでも呼ぶべきものだ。

○五月書房サイト内の内村剛介略歴
http://www.gogatsu-shobo.jp/isbn/4772703195/

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★過去の日記★2005/08/07 (日) シリン・ネシャット展、広島市現代美術館
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昨晩は平和公園内であったコンサートを聴いた。
といっても眠っていたらしい。そやろなあ。

雨がぱらぱらと降り出したので、早めにホテルへ向う。
灯籠流しも酔っぱらっていたせいか、
見なかったように思うぜよ。

すっきり睡眠の足りた状態とはいかず炎天下、
ヒロデンに乗って比治山の【広島市現代美術館】へ。

★「シリン・ネシャット展」、
第6回ヒロシマ賞受賞記念の展覧会である。
これについては、人妻ユミに報告を書いてもらう予定。
~10月16日まで。1140円。

○シリン・ネシャット展(1957生れ)
http://www.hcmca.cf.city.hiroshima.jp/exh/special/h17sp5/h17sp5.htm

わたくしにとっては、映像インスタレーションの展示は
こういうものなのかと分からせてくれた。
Gにとって、暗闇のなかで座って観覧できるのは助かる。
寝るなよ。へ~い。

作家はイランの女性だ。イスラームの女性、
しかもアメリカに渡って活動している。
これはかなり危うい位置にいる。白人女性たちの
女性差別反対運動の影響をうけざるをえない。

出自の地。荒野。砂漠。暑熱。
白人たちの「民主国家」の政治思想はここでは通用しない。

イスラームは宗教というよりも、
中国における道教に近いのではないか。
厳しい環境で生きのびるための習慣、知恵
とでもいえるようなものとしてである。

イスラームとは、豊かさの分配ではなく、
アラーのもとでの貧しさの分担と考えられないか。
習俗としての掟と仕来りとでもいえるようなもの。
これは、覇権を競うものらには、恐怖を感じると思う。
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by amanedo_g | 2005-08-05 23:45 | haymay 山口平明

【8月6日】広島行き

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★過去の日記★2004/08/06 (金) ヒロシマは向こう岸へ消えていくのか
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気象異変の今年に見合ったヒロシマの夏だった。
雲が浮かび、直線状に隈取りされた黒雲まで見えた。暑さは不変。

のぞみで新大阪~広島間一時間十九分。対照となるがごとき
広島市内の地上を走るチンチン電車、広電はいい味だしている。

原爆ドーム前下車。元安川を渡り平和記念公園へ。
午前九時をまわって式典は終っている。まっすぐ
土饅頭形の原爆慰霊碑の裏手にまわる。

「内部にある阿弥陀様のお顔はこちらを向いておられますから、
事情を知ってのかたはここからお参りされます」と
前にいた男性が説明してくれる。ぼくは知っていたが、
妻ともどもお礼を言う。線香は多くお花も一杯。

こころ静かにお参り。デジカメで記念撮影。
つぎに資料館の下をくぐり厚生年金会館方向へ。
原爆投下当時、新聞社で働いていて被爆死した人たちを祭った
慰霊碑が河畔の一角にある。その碑前祭に参列。

黙祷ののち、めいめいが「不戦」と刻まれた石碑
(一九八五年建立)に水をかけ献花して儀式は終る。
会館の交流懇親会に参加。
ほとんど中国新聞の組合幹部かそのOBだ。遺族は少ない。

ぼくの父は毎日新聞であり、地元紙の死者の仲間にいれて
もらった格好である。「朝日」や他社も同じ。
同じ新聞労働者だという趣旨である。
石碑の裏面に氏名が刻印されている。

「原爆」資料館の玄関ロビーに展示された
似島から発掘された遺品の展示を見に行く。
荼毘にふすまもない死者の多さから、
穴に埋められた死者たち。燃やされなかったために、
土中からバックルのような金属製品、
セルロイドの名札などが掘り出された。

なんにも父のものどころか、少ないどの遺品も
土色の小さなボロ屑としか見えない。
これではどうにもなりはしない。

念のため罹災者名簿の調査コーナーで、市役所の吏員に
見てもらったが、予想通り何も手がかりなし。
来年は原爆投下六十年、還暦だ。ぼくがこの地へやって
これるのもそう多くないだろう。

ホテルで休憩。夕食は「酔心」の釜飯。
灯籠流しを見に再び元安川へ。デジカメの夜景モードで
撮った原爆ドームは、ライトアップのせいか
真っ白に写っていた。まるで亡者たちの火の玉のように見えた。

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★過去の日記★2004/08/07 (土) 廿日市で大道あや作品と出会う
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昨日八月六日、新聞労働者「不戦」の碑の前での式と交流会に
参加して、「原爆」資料館に向う途次、
平和会館の入口に掲示してあったポスターを何気なく見ると、
「丸木」の名前が見えた。

オーナーと友人は中へ入り、奥に別にあった
そのポスターをもらって得々としている。あらためて見ると、
驚くべきことに「大道あや」の名前もあるではないか。

広島市の西隣の廿日市市(はつかいち)で丸木夫妻と、
丸木位里氏の母である丸木スマさん、そして妹の大道あやさんの
原爆に関する絵画展が開催されているのだった。

ぼくの父親がヒロシマの死者であることから、
わが天音堂ギャラリーの夏季特別企画として、
原爆に関する絵画展を開きたいと思ってきた。五月末、
東京で又重勝彦から、大道あやさんは関西に住んでいると聞いて、
「これだ」とひらめいたのだ。(結局、大道あやさんは
広島市に住んでいると判明。)

インターネットで調べて、今日七日は一昨年いってよかった
広島市立現代美術館へ行くつもりだった。目下、
明和電機展開催中。しかし、急きょ方針変更。

廿日市市まで小一時間で行けると聞いて、
私たち三人は例の市街電車・ヒロデン「宮島口行き」で
廿日市へ向った。旅はこんな出会いがあるから面白い。

まだ真新しい廿日市市役所にくっついた別棟に
美術ギャラリーはあった。広い。
三つの展示室をみんな使っている。[つづく]

○「丸木家の人々と平和」展が開かれていた
はつかいち美術ギャラリー
http://ww2.enjoy.ne.jp/~sakurapia/INDEX1.HTM

「丸木家の人々と平和」、出展作家は丸木位里・俊夫妻、
位里の母のスマ、位里の妹の大道あやの四人。

夫妻では「原爆の図」第六部「原子野」が主たる作品で、
あとはデッサンがそれぞれ五点ほど。このデッサンがよかったな。
スマさんが二十四点で、全七十二点中、半分の三十六点が
大道あやさんの作品である。

何年前だったか、大病のあと、誘われて埼玉県東松山の
丸木美術館に出かけて、夫妻の「原爆の図」を見た。

また、大阪の画廊で丸木スマの絵も見ていた。だが、
大道あや作品だけは見ていなかった。それはそうだろう。
作品は作家がほとんど所蔵し、埼玉県越生町の自宅に
展示してあったらしいから。

大道あやさんは去年、出身地の広島へ三十三年ぶりに
もどってきて、今回、広島では初公開となる展示とのことで、
ほんとうに僥倖とでもいうほかあるまい。

一九七二年制作の「彼岸花」のカラスの黒と
彼岸花の赤との対比、ひきつけられるように何度も
その前にもどって見た。本(『へくそ花も花盛り』福音館文庫)で
見たのは色が沈んでいた。やはり原画でみないと分からないものだ。

館内のビデオでは、四年前、大道あやさん九十一歳のとき、
NHKテレビ「にんげんドキュメント」で、
生涯で初めて原爆の絵を描いていく姿を、
ドキュメンタリーとして撮ったものをやっていた。

ドキュメンタリー好きなぼくがなぜこれを見てなかったのか。
妻君がテレビの上の札を指さした。そこには放映日が
二〇〇〇年十月十九日とあった。

娘の天音が亡くなったのが十六日、お別れの会(葬式)の
翌日が十九日なのだった。このときテレビはつけもしてなかった。

学芸員の男性に聞いたら、大道あやさんは、
広島市内に息子さんと住むという。もう九十五歳。
もともと美容師で、事故で夫を亡くし、六十歳になってから
絵筆をとったあやさんに兄の位里はこう言った。

「お前は自分で極意を会得しとるじゃないか。
お前の絵はいかにへたに描いて、いかにつっこむかにあるんじゃ。
何も教えることはありゃせんよ」(前掲書)
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by amanedo_g | 2004-08-06 23:45 | haymay 山口平明

★過去の日記★030919★アサド兄弟のCD

■2003/09/19 (金) 還暦祝い膳は和風フレンチ


儀式が苦手で、誕生日を祝いたくないヒネクレ者のぼくにとって、
今日ばかりは素直に祝辞を受けようと思う理由がある。

もともと還暦の年祝いは、老年に入る関門にあたり、現役を引退し
隠居となる節目のときらしい。暦が元に還るということが
どういう意味をもっているのか知らないのだが。

とにかく本卦帰りで暦が生まれた年と同じ干支に戻って、六十一歳に
なるときは生まれ変わったことになる。だから、赤ちゃんになった
というわけで、赤い衣服を身につけたり赤い座布団を贈られるという。

長寿を願い祝ってもらうつもりはない。されど、生まれ変わって
ここから心機一転という思いはあるから、今日は細君(オーナー・画家)
の祝辞は喜んで受けようと思った。

午前中、花屋さんから花束が届いた。宮城県に住む拙著の読者の
クミさんからだ。

《ハッピー還暦 平明さん。三人の子供と一緒に街の花屋さんに
来ています。天音ちゃんと出会えてよかったな。「在り難う」と
「おめでとう」のブレンド花束を贈ります。》
とメッセージカードにあった。

逢ったこともないのに、こんなふうに言ってもらえるなんて、
こちらこそ在り難いと思う。天音の親になって共に生き暮したお蔭である。

妻がレストランでお祝いしてくれるという。それならと
近くにできた和風フレンチの店を提案、遅めの昼食、早めの夕食
みたいな時間に行くことになる。

画廊のリーフレットをデザインしてくれているタエが、
カラーカンプを持ってきてくれるので、打合せを食事と一緒にしよう
と三人でレストランの席につく。

川のたもとの新しいレストラン。ワインを飲みながら、
お箸で食べるフランス料理。美味しかったな。美食家なんて柄じゃ
ないから、ただ美味しかったとしか語れない。

だがだが、料理にもましてタエの作ってきたカンプリヘンシブ・
レイアウトが素晴らしい出来ばえなのだ。A4判二つ折りの簡単な
リーフレットなのに、このひとの手にかかると、書物の紹介冊子の
ように上品に仕上がっている。色合いも取り合わせもいい。

ほんとうにいい還暦の宴になった。

○タエに贈られたギターデュオのCD
『移住者の物語〜南米の魂/セルジオ&オダイル・アサド』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005HHFT/qid%3D1064039650/250-0134187-3116201
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by amanedo_g | 2003-09-19 23:45 | haymay 山口平明