【8月6日】広島行き

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★過去の日記★2004/08/06 (金) ヒロシマは向こう岸へ消えていくのか
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気象異変の今年に見合ったヒロシマの夏だった。
雲が浮かび、直線状に隈取りされた黒雲まで見えた。暑さは不変。

のぞみで新大阪~広島間一時間十九分。対照となるがごとき
広島市内の地上を走るチンチン電車、広電はいい味だしている。

原爆ドーム前下車。元安川を渡り平和記念公園へ。
午前九時をまわって式典は終っている。まっすぐ
土饅頭形の原爆慰霊碑の裏手にまわる。

「内部にある阿弥陀様のお顔はこちらを向いておられますから、
事情を知ってのかたはここからお参りされます」と
前にいた男性が説明してくれる。ぼくは知っていたが、
妻ともどもお礼を言う。線香は多くお花も一杯。

こころ静かにお参り。デジカメで記念撮影。
つぎに資料館の下をくぐり厚生年金会館方向へ。
原爆投下当時、新聞社で働いていて被爆死した人たちを祭った
慰霊碑が河畔の一角にある。その碑前祭に参列。

黙祷ののち、めいめいが「不戦」と刻まれた石碑
(一九八五年建立)に水をかけ献花して儀式は終る。
会館の交流懇親会に参加。
ほとんど中国新聞の組合幹部かそのOBだ。遺族は少ない。

ぼくの父は毎日新聞であり、地元紙の死者の仲間にいれて
もらった格好である。「朝日」や他社も同じ。
同じ新聞労働者だという趣旨である。
石碑の裏面に氏名が刻印されている。

「原爆」資料館の玄関ロビーに展示された
似島から発掘された遺品の展示を見に行く。
荼毘にふすまもない死者の多さから、
穴に埋められた死者たち。燃やされなかったために、
土中からバックルのような金属製品、
セルロイドの名札などが掘り出された。

なんにも父のものどころか、少ないどの遺品も
土色の小さなボロ屑としか見えない。
これではどうにもなりはしない。

念のため罹災者名簿の調査コーナーで、市役所の吏員に
見てもらったが、予想通り何も手がかりなし。
来年は原爆投下六十年、還暦だ。ぼくがこの地へやって
これるのもそう多くないだろう。

ホテルで休憩。夕食は「酔心」の釜飯。
灯籠流しを見に再び元安川へ。デジカメの夜景モードで
撮った原爆ドームは、ライトアップのせいか
真っ白に写っていた。まるで亡者たちの火の玉のように見えた。

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★過去の日記★2004/08/07 (土) 廿日市で大道あや作品と出会う
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昨日八月六日、新聞労働者「不戦」の碑の前での式と交流会に
参加して、「原爆」資料館に向う途次、
平和会館の入口に掲示してあったポスターを何気なく見ると、
「丸木」の名前が見えた。

オーナーと友人は中へ入り、奥に別にあった
そのポスターをもらって得々としている。あらためて見ると、
驚くべきことに「大道あや」の名前もあるではないか。

広島市の西隣の廿日市市(はつかいち)で丸木夫妻と、
丸木位里氏の母である丸木スマさん、そして妹の大道あやさんの
原爆に関する絵画展が開催されているのだった。

ぼくの父親がヒロシマの死者であることから、
わが天音堂ギャラリーの夏季特別企画として、
原爆に関する絵画展を開きたいと思ってきた。五月末、
東京で又重勝彦から、大道あやさんは関西に住んでいると聞いて、
「これだ」とひらめいたのだ。(結局、大道あやさんは
広島市に住んでいると判明。)

インターネットで調べて、今日七日は一昨年いってよかった
広島市立現代美術館へ行くつもりだった。目下、
明和電機展開催中。しかし、急きょ方針変更。

廿日市市まで小一時間で行けると聞いて、
私たち三人は例の市街電車・ヒロデン「宮島口行き」で
廿日市へ向った。旅はこんな出会いがあるから面白い。

まだ真新しい廿日市市役所にくっついた別棟に
美術ギャラリーはあった。広い。
三つの展示室をみんな使っている。[つづく]

○「丸木家の人々と平和」展が開かれていた
はつかいち美術ギャラリー
http://ww2.enjoy.ne.jp/~sakurapia/INDEX1.HTM

「丸木家の人々と平和」、出展作家は丸木位里・俊夫妻、
位里の母のスマ、位里の妹の大道あやの四人。

夫妻では「原爆の図」第六部「原子野」が主たる作品で、
あとはデッサンがそれぞれ五点ほど。このデッサンがよかったな。
スマさんが二十四点で、全七十二点中、半分の三十六点が
大道あやさんの作品である。

何年前だったか、大病のあと、誘われて埼玉県東松山の
丸木美術館に出かけて、夫妻の「原爆の図」を見た。

また、大阪の画廊で丸木スマの絵も見ていた。だが、
大道あや作品だけは見ていなかった。それはそうだろう。
作品は作家がほとんど所蔵し、埼玉県越生町の自宅に
展示してあったらしいから。

大道あやさんは去年、出身地の広島へ三十三年ぶりに
もどってきて、今回、広島では初公開となる展示とのことで、
ほんとうに僥倖とでもいうほかあるまい。

一九七二年制作の「彼岸花」のカラスの黒と
彼岸花の赤との対比、ひきつけられるように何度も
その前にもどって見た。本(『へくそ花も花盛り』福音館文庫)で
見たのは色が沈んでいた。やはり原画でみないと分からないものだ。

館内のビデオでは、四年前、大道あやさん九十一歳のとき、
NHKテレビ「にんげんドキュメント」で、
生涯で初めて原爆の絵を描いていく姿を、
ドキュメンタリーとして撮ったものをやっていた。

ドキュメンタリー好きなぼくがなぜこれを見てなかったのか。
妻君がテレビの上の札を指さした。そこには放映日が
二〇〇〇年十月十九日とあった。

娘の天音が亡くなったのが十六日、お別れの会(葬式)の
翌日が十九日なのだった。このときテレビはつけもしてなかった。

学芸員の男性に聞いたら、大道あやさんは、
広島市内に息子さんと住むという。もう九十五歳。
もともと美容師で、事故で夫を亡くし、六十歳になってから
絵筆をとったあやさんに兄の位里はこう言った。

「お前は自分で極意を会得しとるじゃないか。
お前の絵はいかにへたに描いて、いかにつっこむかにあるんじゃ。
何も教えることはありゃせんよ」(前掲書)
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# by amanedo_g | 2004-08-06 23:45 | haymay 山口平明

★過去の日記★030919★アサド兄弟のCD

■2003/09/19 (金) 還暦祝い膳は和風フレンチ


儀式が苦手で、誕生日を祝いたくないヒネクレ者のぼくにとって、
今日ばかりは素直に祝辞を受けようと思う理由がある。

もともと還暦の年祝いは、老年に入る関門にあたり、現役を引退し
隠居となる節目のときらしい。暦が元に還るということが
どういう意味をもっているのか知らないのだが。

とにかく本卦帰りで暦が生まれた年と同じ干支に戻って、六十一歳に
なるときは生まれ変わったことになる。だから、赤ちゃんになった
というわけで、赤い衣服を身につけたり赤い座布団を贈られるという。

長寿を願い祝ってもらうつもりはない。されど、生まれ変わって
ここから心機一転という思いはあるから、今日は細君(オーナー・画家)
の祝辞は喜んで受けようと思った。

午前中、花屋さんから花束が届いた。宮城県に住む拙著の読者の
クミさんからだ。

《ハッピー還暦 平明さん。三人の子供と一緒に街の花屋さんに
来ています。天音ちゃんと出会えてよかったな。「在り難う」と
「おめでとう」のブレンド花束を贈ります。》
とメッセージカードにあった。

逢ったこともないのに、こんなふうに言ってもらえるなんて、
こちらこそ在り難いと思う。天音の親になって共に生き暮したお蔭である。

妻がレストランでお祝いしてくれるという。それならと
近くにできた和風フレンチの店を提案、遅めの昼食、早めの夕食
みたいな時間に行くことになる。

画廊のリーフレットをデザインしてくれているタエが、
カラーカンプを持ってきてくれるので、打合せを食事と一緒にしよう
と三人でレストランの席につく。

川のたもとの新しいレストラン。ワインを飲みながら、
お箸で食べるフランス料理。美味しかったな。美食家なんて柄じゃ
ないから、ただ美味しかったとしか語れない。

だがだが、料理にもましてタエの作ってきたカンプリヘンシブ・
レイアウトが素晴らしい出来ばえなのだ。A4判二つ折りの簡単な
リーフレットなのに、このひとの手にかかると、書物の紹介冊子の
ように上品に仕上がっている。色合いも取り合わせもいい。

ほんとうにいい還暦の宴になった。

○タエに贈られたギターデュオのCD
『移住者の物語〜南米の魂/セルジオ&オダイル・アサド』
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# by amanedo_g | 2003-09-19 23:45 | haymay 山口平明