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【展告】稲田卓史写真展3月20--29日間の金・土・日

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稲田卓史 写真展「幽世の匣」kakuriyo no hako
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【展告】稲田卓史写真展3月20--29日間の金・土・日_f0040342_20401846.jpg
2009年3月20日(金/祝)・21日(土)・22日(日)_&_27日(金)・28日(土)・29日(日)
午後2~7時 (最終日~5時まで)___※23--26日においでくださるときは連絡ください。
天音堂ギャラリー連絡先=06・6543・0135、〇九〇・六五九七・六五一五 (山口平明)

天音堂ギャラリー[アクセス地図(リンク)]



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【稲田卓史プロフィール】
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大学理学部で地質学を研究。大学院を修了後、やがて調査研究から離れ、予備校講師をしながら山岳風景を撮影し始める。山岳写真の撮影行はまるで修行みたいだという。

《「地質学的にいえば、見えている山の形はその山が崩れてゆく状態です。完成された形ではない、崩れていく山の形、その中に自分がいるという感覚。地質学に携った者の独特の見方だと思います」30キロ近い機材をかついでたった一人で山の中を歩く、その苛酷な状況では目的地までただ歩くことに意識が集中していく》
《自然に対する畏敬の念と、その大きな存在が壊れてゆくことに対する無常観、その中にいる自分というちっぽけな存在・・・。孤独な戦いの中で辿り着くのは宇宙との一体感》

一九九五年ごろ、ある舞踏家(ミゼール花岡)の言葉に感じるものがあり、撮影許可をもらい、その後はずっと他の舞踏家を紹介され撮りつづける。

《舞踏の表現に潜在するテーマに共感し、さまざまな舞人と出会ってその舞台を撮影》
《暗闇の中から光を切り取った写真、そこに描こうとしているのは影の姿だ。それぞれの影には温度差があり、カサカサと乾いていたり、ぬるりと湿っていたりする。被写体は人、舞踏家であるのにまるで人のようでなく、枯れかけた樹木や渇いた地表を思わせる》

一九九八年、稲田は舞踏家を撮影した写真集を自費出版している。(『舞踏-陰翳の舞人たち』光芒刊)
写真集に収められている舞踏家は次のとおり。
大駱駝艦、
族長の足袋、
舞踏舎天鶏、
栗太郎と古舞族アルタイ、
ミゼール花岡、
竹之内淳、
宍戸智子、
由良部正美、
桂勘とサルタンバンク、
玉野黄市、
金沢舞踏館山本萌、
吾妻琳、
堀川久子、
トモエ静嶺と白桃房、
大野一雄。

《舞人の肉体が表現する生と死、崩れゆく美、現実とは異質の世界。そこに山の中で感じた自分の思いを見い出した彼だからこそ、ほかの写真家には捉えることができなかった舞人の姿を写真に映し出すことができた》

〇引用原文(典拠)
『朝日新聞ミニコミ誌ASぽけっと』2001年6月1日のインタビュー記事)

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稲田卓史★個展歴
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第1回-1993年1月「山嶺」寺伽屋(明石市)
第2回-1995年1月「山嶺Ⅱ」ギャラリー書典(三木市)
第3回-1996年10月「陰翳の舞人たち」ギャラリー春秋(茨城市)
第4回-1998年6月「山嶺Ⅲ」あしゅん(神戸市)
第5回-1999年4月「陰翳の舞人たち弐」アガべ・カフェ(大阪市)
第6回-1999年10月「陰翳の舞人たち(大野一雄)」あしゅん
第7回-2000年10月「陰翳の舞人たち(古舞族アルタイ)」あしゅん
第8回-2001年5月「兵庫運河」さぬきや
第9回-2001年11月「ENTRE EL CAMINO」あしゅん
第10回-2002年3月「陰翳的舞者」華山芸文特区(台湾)
第11回-2003年2月「陰翳の舞人たち(大野一雄)」Gallery DOT(京都市)
第12回-2003年12月「写真展陰翳の舞人たち(大駱駝艦)」スペース草(豊中市)
第13回-2004年1月「写真展陰翳の舞人たち(大駱駝艦)」スペース草(豊中市)
第14回-2005年8月「写真展示(舞踏・共催)」バンコク(タイ)
第15回-2006年4月「写真展示(共催)」アテネ、クレタ島ほか(ギリシャ)
第16回-2006年5月「写真展、トリイホール15周年落語家たち」トリイホール(大阪市)
by amanedo_g | 2009-03-20 00:10 | show 展覧会情報
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