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【5日】原民喜著「壊滅の序曲」-青空文庫版

《「どうです、広島は。昨夜もまさにやって来るかと思うと、宇部の方へ外(そ)れてしまった。敵もよく知っているよ、宇部には重要工場がありますからな。それに較(くら)べると、どうも広島なんか兵隊がいるだけで、工業的見地から云わすと殆(ほとん)ど問題ではないからね。きっと大丈夫ここは助かると僕はこの頃思いだしたよ」と、大そう上機嫌(じょうきげん)で弁じるのであった。(この大谷は八月六日の朝、出勤の途上遂(つい)に行方(ゆくえ)不明になったのである)
 ……だが、広島が助かるかもしれないと思いだした人間は、この大谷ひとりではなかった。一時はあれほど殷賑(いんしん)をきわめた夜の逃亡も、次第に人足が減じて来たのである。そこへもって来て、小型機の来襲が数回あったが、白昼、広島上空をよこぎるその大群は、何らこの街に投弾することがなかったばかりか、たまたま西練兵場の高射砲は中型一機を射落したのであった。「広島は防げるでしょうね」と電車のなかの一市民が将校に対(むか)って話しかけると、将校は黙々と肯(うなず)くのであった。……「あ、面白かった。あんな空中戦たら滅多に見られないのに」と康子は正三に云った。正三は畳のない座敷で、ジイドの『一粒の麦もし死なずば』を読み耽(ふ)けっているのであった。アフリカの灼熱(しゃくねつ)のなかに展開される、青春と自我の、妖(あや)しげな図が、いつまでも彼の頭にこびりついていた。》
原民喜「壊滅の序曲」『夏の花』三部作の三作目



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by amanedo_g | 2009-07-05 18:52
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