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【12月15日】川﨑美智代「大阪にて」エッセイ一括転載

大阪から

ギャラリーR・Pの『器』展 

堀尾貞治さんの展示をまるごと体験できる初
めての機会だ。ギャラリーに着いた時は既に
搬入が始まっていた。しかしそれは搬入では
ないのだと、後で気づくことになる。主な素
材は美術展や旅行のチラシ。家にあったもの、
来る途中で持ってきたもの、さまざまだ。ギ
ャラリーに居合わせた人達が堀尾さんの指示
で壁一面にタッカーで打ちつけてゆく。堀尾
さんはギャラリーにあるものを、といっても、
換気扇や蛍光灯なのだが、どんどんドローイ
ングして貼ってゆく。
ひとしきり壁が埋まり、一段落。すると、や
おら堀尾さんが壁のチラシを剥がし始めた。

「あっ」
さっき貼り終わったばかりのチラシがどんど
ん剥がされてゆく。かろうじて、ホチキス止
めの一部分だけが、壁に点々と、小さく残っ
ている。
引き剥がされたチラシは、壁の上部にまた貼
られたり、窓を型どったり、窓枠に詰め込ま
れたりとあちらにこちらに、それが一日中続
いた。翌日、チラシは入口に集められ、そし
て階段にぶちまけられ、来場者に踏みつけら
れ、1週間のうちに何度も姿と状態を変えた。
搬入と展示とオープニングパーティーと搬出
と打ち上げが一つの空間で一日中渾然と継続
した初日。一連の行為には区切りがなく、エ
ネルギーが形を変え、絶え間なく続いてゆく。
便宜上それを堀尾さんのパフォーマンスと言
うのだろうが、それだけでは言い足りない気
がする。

空間という器を用意した人、テーマを投げた
人、受けた人、共鳴して動いた人。器とはも
のであり、ものでなく、作家自身でもあり、
そこに関わる人でもあり。
それら全てと、成した行為をその直後から瞬
時に問い直す姿勢、それが堀尾さんの美術だ
った。

二00七年 四月








ケルズの書

 アイルランドには奥深い林や森があまりな
く、山や丘には低木がまばらに生えている。
そんな寂し気な風景がどこまでも静かに続く。
遮るものがなく、風も海も荒々しく厳しい。
歴史的にも争い続きで、生きるものに強い生
命力を求める土地である。文学の地層が厚い
なかで、ケルズの書は言葉を超えたエネルギ
ーで迫ってくる。
 牛の皮に描かれたケルト文様の写本で、九
世紀にスコットランドの西の島アイオーナか
らケルズに避難してきた修道士によって作ら
れた。装飾と文字があいまって渾然となり、
観ていると文様の渦に巻き込まれていくよう
な気になる。ひとつひとつの柄は抽象的で、
中心はない。自然と人間、動物の関係が等価
に存在し、どれも大切なのだと語るようにも
感じられる。福音書ゆえにキリストの言葉を
説く道具の一つだが、宗教の枠を超えた深さ
と生命力を湛えている。

二00七年 六月

湖北の観音

 雪に埋まった茶畑を歩いて石道寺へ向かう。
村の方々で守っておられる十一面観音の拝観
をお願いしている。お会いした堂守の方は、
定年退職後に大阪から生まれたこの地に戻ら
れたそうだ。
 目の前で厨子が開かれ、ぽっちゃりした観
音の面立ちが現れる。古い小さな御堂の中で、
仏像のこと、村の過疎化、山村への国の政策
や交流事業などについても伺いながら、ゆっ
くりと見せていただく。

 少し離れた赤後寺も無住の寺である。山極
の御堂で、冷えた空気の中、堂守の方がスト
ーブを点けて案内して下さる。聖観音と千手
観音の厨子が開かれる。この瞬間は有難い。
石道寺の観音の柔らかさとは異なり、厳しさ
を湛えている。千手ではあるが、川底に鎮め
ることで戦乱を逃れたので、印を結んだ手首
は欠けてしまっている。その痛々しさのため
に長い間秘宝だったという。しかしその躯体
は、むしろ元の生命力の宿る樹に返りつつあ
るような力強さが感じられる。
 仏像は、寺とともに政治によって変わる僧
侶ではなく土地の人に守られ、次の世代に伝
えられて長い時間を生きている。村の家はた
いてい浄土真宗とのことだが、宗派の異なる
神仏を大切にし続け、それが何百年も続いて
いるということは、大きな驚きだった。

 東京では美術館や博物館以外に、仏像を観
ることはなかったように思う。両親は高度経
済成長期に鳥取から東京、そして埼玉に仕事
の都合で移り住んだので、実家には先祖代々
の仏壇はなく、身近の古いものを守るという
意識もあまりなかった。
寺に赴いて仏像を拝するのは思えば自然なこ
とで、拝観という行為は自然ではないかもし
れないけれど、じっと観ていると、今流れる
時間の上に、未生の時間と歴史も重なってく
る。

二00八年 一月

如意輪観音

 「世界に於ける日本美術の位置」という本
に、モノクロの観音像の図版が小さく載って
いた。ぽちゃぽちゃした顔つきは、極楽その
もののようにも思われ、いつか観たいと思っ
ていた。文中でもその女性的魅力が絶賛され
ている。『暗い厨子の中に、まるで肉親の仏
に出遭ったがごとく、その豊肥にして艶麗な
る肉体にはまざまざと血が通って・・・』。著者
は男性。
 転居して二年目の春のご開帳の日、近所の
作家さんに連れられ、拝観。女性的というよ
り中性的で威厳があり、官能的というよりは
拝観するこちらの真剣さを問うているように
も思えた。実際、観音は女性でも男性でもな
い。拝する心持ちが興味本位ならば、観音か
ら得るものもわからず、自分の心の出口は永
遠に見つからなさそうだ。
どっしりした躯体、そこから伸びる六本の腕
と形が、どれも逞しく優美ですばらしい。

二00八年 四月

那智瀧

 那智の瀧図は何度か見ていた。静かな、ま
っすぐな白く落ちる水と月。
 
訪れた熊野の山は深い。尽きることがないよ
うな豊かさを感じる。大門坂の少し手前の集
落から、瀧に向かって歩く。息を切らして古
道を登り、だんだん近づいてゆく。今は冬だ
から少し細いが、滔滔と流れる水の帯が遠く
に見える。実に美しい。
領内に入り、瀧が近くなる。どこから見ても
見飽きることがない。滝壷を拝して、観光客
(私もだが)に記念撮影を何度も頼まれるほ
どずっと瀧の近くにいて、しかし立ち去るこ
とが出来ない。体がすっかり冷えてしまって、
ようやく瀧を離れる。

二00八年 十二月

熊野出会いの里

 築百年の古民家を本宮の山間に移築し、農
業と民宿をされている方がいることを、本宮
のカフェのチラシで知る。
麻野さんは、自分の農業を若い人に伝えよう
と思い、大阪から熊野に移住されたそうだ。
都市生活の感覚を持ち込まず、豊かに生きる
ことを熊野で実践しておられ、埼玉から二十
代のカップルが農作業の手伝いに見えている。
神戸からも、三十、四十代の方たちが、話し
をしに見えている。そこに私たちも加わり、
暮らしぶりなどを伺う。
農業のプロなので、食べるのには困らない。
それを可能にしてくれる熊野の魅力も伝わっ
てくる。力強くのびのびと、心の贅肉もなく、
もちろん生活に対する甘い幻想を抱かせるこ
ともなく。これからの生において、このよう
な心持ちで日々過ごせれば、神経を減らす時
間の流れに巻かれるよりよいのは自明である。
豊かな心。言うは易いが、ずいぶんと意識を
変えていかなければならないだろう。難しい
が、そちらへ向かうこと。        
  二00八年 十二月

大阪から



電車の窓から眺める大阪は、隙間がない。家
々が密集し、緑も少ない。心の解れる空間が
なかなか見つからないな、と思っていたが、
川の上に空の開けた間があることに気付いた。
夕方の大川に、練習中のボートが目の前をま
っすぐ、静かに通り過ぎる。堂島川の港の方
に、日が沈む。
両岸には再開発中の高層ビルが、ひとつ、ま
たひとつ出来ていく。川の上の空が狭くなる。

二00八年 九月

渡船

とある(ど素人)句会の吟行で、渡船巡りを
した。大阪湾に注ぐ川のいくつかに、渡し舟
がある、という。さすがは水の都。運行は大
阪市交通局。家人は高校時代に学校をサボっ
て渡船で映画を見に行っていたという。
運行本数は少ないが、大雨にもかかわらず利
用者はおり、自転車のまま乗り込むこともで
きる。ベルリンの電車みたいだ。小さなボー
トのような舟から、ベネチアの水上バスのよ
うな船までいろいろある。進み方も、まっす
ぐ対岸へ向かうだけでなく、くの字を書いて
辿り着く蛇行もあった。悪天候ということも
あり港の風景は殺伐としているが、渡船は妙
に人間臭い。幼稚園の頃、東京にはまだ都電
があったが、それに近い空気がある。
弁天町から北加賀屋まで、靴の中までびしょ
びしょにして歩いて三本の渡船を経験。普段
の自分の生活では、使うことのない交通手段。
風雨がまたよかったのかも。
二00八年 四月



 窓から生駒山系が見える。長くなだらかな
稜線は、大和絵のようだ。山の向こうは奈良
である。朝、山から日が昇り、夕方西日が山
肌に溢れる。春はぽつぽつと桜が見え、夏は
もこもこした後に緑が濃くなる。そして少し
づつ紅葉し、冬は茶色く静かである。
天気によっても様子は異なり、雨で霞んでも
美しい。雨上がりの雲の動きがまた楽しい。
時々、鷺も飛ぶ。
対して傍を流れる寝屋川は実に汚いのだが、
緑地公園が近いので、やや景観としては救わ
れている。時間もゆっくり流れているような
気がする。

二00九年 十一月

大阪あれこれ

・東京からの新幹線で
京都を過ぎると山が見えなくなり家が密集し
てくる、工場が多くなってくる、緑が少ない

・電車
人が少ない、ホームに並ばない、通勤ラッシ
ュでも電車に乗れないことはない、体が密着
しない、女性専用車両が最後尾ではない、乗
換えは常に赤坂見附のように歩く、車内の路
線図の南北が逆になっている、トイレが遠く
にある、紙が置かれていない場合がしばしば
ある、二階建て車両がある、テレビもついて
いる、椅子が二人掛け、いろいろな橋からの
風景がある

・駅前、商店街
必ず商店街がある、墓地がある(東京近郊の
駅前は商業ビルばかり)、手書きの看板をや
たら見かける、笑いをとる、店に心得が箇条
書きにして貼ってある

・道路
道がでこぼこしている、橋が多い、赤信号で
も車は止まらない、あそこへ行きたいと思っ
てもすぐには辿り着けないような構造になっ
ている、特に大阪駅周辺、地下街が大盛況、
だが方角はさっぱりわからない

・自転車
老若男女皆自転車、どこでも駐輪場、ハンド
ルに傘をさす道具が取り付けられている

・エトセトラ
たこ焼き屋がそこここにある、女子高生の会
話が漫才を超えている、知らない人が急に話
しかけてくる、新世界を歩いているとおっち
ゃんと正面衝突する

二〇〇九年十二月 
by amanedo_g | 2009-12-15 20:10
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