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宮城・古川で開かれる山口ヒロミ展5/3〜7

宮城・古川で開かれる山口ヒロミ展5/3〜7_f0040342_1544956.jpg
山口ヒロミ銅版画作品「雨音」を使ったDMハガキ(右)、左は切手面。真ん中のB5判の冊子「プチの大通り」には、宮城県大崎市で山口ヒロミ展を開くにいたった経緯が、二人の女性によって書かれています。
下の【切手面の案内文を読む】をクリックしてくだされば、お二人の文章を転載しています。長文ですが、心に沁みる文です、読んでくだされば幸いです。「堂守そぞろ日誌」にも載せています。重複既読ご容赦ください。



●山口ヒロミ展の案内ハガキの切手面に記載されている文

☆主催者から☆

 1981年6月、陣痛が来ているのに妊婦の躰を見つめようとしない
医師の誤った医療行為によって山口天音(あまね)さんは胎内で仮
死状態となり、脳の多くが壊れた形で誕生しました。

 母親であるヒロミさんは小学校の教師を辞め、父親である平明
(へいめい)さんと共に自宅で娘さんを介護して行く道を選択します。

生涯にわたり、哺乳ビンによるミルクの食事、浣腸による排便、頭の
中の不快感から昼夜泣き続ける天音さんを父母は交代で抱き続け
て暮らしました。

 「天音さんを社会へ」という思いから父母は娘さんの小学校入学
の年に『あまね通信』と名付けた手書きのミニコミ誌の発行を始め
ます。ありのままの天音さんを伝えたいとヒロミさんは通信の中に
絵を描き続け、それが画家への道につながります。

 私が『あまね通信』と出会ったのは古川で四世代同居を始めた
ばかりで思い通り行かぬ日々に自暴自棄となり、自分も、まわり
の人達をも傷つけていた時期です。〈共に棲み暮らすところに生
まれ共有しあった匂いや雰囲気や時間をこそ宝としたい〉という
山口夫妻の生き方に惹きつけられました。

 2000年10月、天音さんは亡くなりました。19歳4ヶ月の生涯
でした。

 〈これからは、天音を身体の奥にしっかり抱きしめて、どこへで
も出かけていきます〉と書くヒロミさんを古川へ呼びたいと思いま
した。

友に支えられ5年間抱き続けた夢にヒロミさんが応えてくれます。
銅版画約30点・『あまね通信』85号分・染めの布絵などを展示
する予定です。

亡くなるまで言葉を発することは無かったという天音さんの放つ
メッセージとの響き合いにどうぞお越し下さい。 〔千葉久美〕

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2006年5月3日(水)〜7日(日)に開催の
【山口ヒロミ展〜かそけくも輝く命】が、
なぜ宮城県大崎市(旧・古川市)で開かれるにいたったのか。

キーパーソンの千葉久美の開催趣旨を転載してみましょう。
古川市在住の一主婦が、市民ギャラリーを借りて
遠く大阪にいる画家の個展を開く。思えば不思議な話です。

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【かそけくも輝く命】------------------------------千葉久美

 山口ヒロミさんの『雨音』という題名の絵を前にしています。
作家・松下竜一さんはヒロミさんの絵の紹介文で「シャガール
を思わせる」と表現していました。私は松下センセをそう思わ
せたのは、この『雨音』の絵ではと思っています。

 なぜなら、深い蒼色の背景を見つめていると、松下竜一さん
の『鉛筆人形』という短編作品の中の一文を思い出すからです。

 松下センセが、ある日暮れに、灯をともす気力も無いままじ
っと居たら、窓の端に立てかけておいたシャガールの絵から濃
い霧のように夜の水色が流れ出ては部屋の空間を染めていくこ
とに気付いたそうなのです。

 〈今さりげなく私を取り巻いている見慣れたあれにもこれに
も、実はどんな深い秘密が隠されているのかと、ふと神秘の思
いが強まった〉と最後には書かれてありました。

 『雨音』の絵の中央には、バラの模様のソファーがあり、重
い脳性マヒのため硬直しねじれた四肢の少女天音さんを抱きし
めたまま、うたた寝をするヒロミさんが描かれています。

 このヒロミさんと天音さんの姿を見つめていると、十二年前
にK先生と登った岩手県の 束稲山の登山口にあった石仏を思い
出します。そこに彫られていた母子像は、この絵の天音さんと
ヒロミさんにそっくりでした。

 いつの時代に彫られたものか分かりませんが、そのモデルは
義経をかくまったがために滅ぼされた奥州藤原一族の最後の領
主の妻と子という話です。

   夏草や
   兵どもが
   夢の跡

 平泉の高台で芭蕉はこの句を詠んでいます。戦から逃れた母
子は、それから、どのようにして生き延びたのでしょう……。

私が短大で教わったK先生が針を動かしながらこう話してくれ
たことがあります。

 昔の人はどんなに小さな布の中にも神さまがいると、捨てたり
せず、継ぎはぎをして、その小さな形や彩を楽しみながら暮らし
を続けて来たのだと。

 K先生が発行している通信の中にドストエフスキーの言葉が引
用されていたことがありました。「一枚の葉の中にも宇宙がある」
と。

 『雨音』の絵の下部分には蔦の葉が描かれています。

   かそけくも
   輝く命
   蔦若葉

 大道寺さんが獄中で、天音さんのために詠んだ句です。

 古川で開催する山口ヒロミ展のテーマは、この十七字の中の
「かそけくも輝く命」とすることを私は決めました。

 大道寺さん、遅くなってごめんなさい。どうぞ、「かそけく
も」の言葉を山口ヒロミ展のテーマとして使わせて下さい。

 どういう形でお願いしたら良いのか分かりませんでした。
『プチ』に書けばメッセージは届くことをヒロミさんが教えて
くれました。

 一九七〇年生まれの私は『狼煙を見よ』を読むまで事件のこ
とを知りませんでした。古川の地名が出てきたので驚きました。

 大道寺さん達と関わるようになってから松下センセを離れて
行ったという読者の気持ちが私には分かります。

 『狼煙を見よ』を読み終えてから、松下センセに葉書を書き
ました。

 胎教(三番目の子を妊娠中でした)に松下竜一全集三十巻を
読破しようという目標をたてなければ、このような恐い本は手
にしなかったと思います。

最後まで読んだお陰で〈大衆なり人民の一人一人の生活、
特殊性に思いを馳せなければ、それは全く人間性を欠いたも
のになる訳です〉という印象的な言葉と出会うことができましたと。
[千葉久美の文ココマデ]

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【Kさんへ みなさんへ〜山口ヒロミ銅版画展への誘い〜】----T

 Kさんが私達の会のある時、唐突に「山口ヒロミさんの絵の
展覧会をやるのが私の夢」と話され、みんなびっくりしました。

 山口ヒロミさんは「天音ちゃん」という重度の障害児のお母
さんです。天音ちゃんは首も坐らず、手も脚もヒラヒラ、あま
つさえ時をおかずけいれんし、泣き叫ぶこと以外は何ひとつで
きない女の子です。

 天音ちゃんのことを山口さん夫妻の書かれた本などで多少
知っている人も、銅版画展と聞いてあっけにとられました。私も
そんな中の一人でした。

 ところがKさんは本気でした。Kさんのこれを(実現したい!)
という一途さが伝わってきて、みんな少々不安(?)になって
きました。

だってね、いろいろありますよ、それは。映画上映会(鉛の時
代)はやったことがありましたが、絵の展覧会なんて思いも
よらなかったし…でもまあ、まる一年も先のこと。みんな余裕
シャクシャク、あーだ、こーだ、と実現に向けてのおしゃべり
にはこと欠きませんでした。

 ところが決まったとなったら、Kさんが即きれいな絵入りの
(カラーですよ)チラシを作って来られました!ワオーッ早す
ぎる!先駆けランナー花吹雪…感激!の余りふき出しちやい
ました。ゴメンゴメン。仙台の友人達もめんくらったかもね。

それでどうしたかって?
みんな花吹雪ちゃんがいっぺんに好きになりました。

銅版画展のテーマ (主題・目的)は
《かそけくも輝く命》、
Kさんの提案にみんな感動しました。それはつよい共感でした。

 句集「友へ」の中でも特に心にとまった句です[平明注…大
道寺将司句集]。これは天音ちゃんのことを詠まれたものとは知
りませんでしたが、この《かそけくも》がいいねえとつれあい
と話し合ったものです。

実は二十年前わが家の玄関の片側は蔦で掩われていました。
外壁を塗り替えるとき全部とりはらってしまいましたが、蔦は
天までのぴる勢いでした。

はじめ二十センチ程のひょうひょうした蔦がたちまち絹糸のよ
うなつるをのばし、蜘妹の巣のように四方八方に這い出し、い
つのまにか古風な蔦の家になってしまっていました。

それが春先にはゴマ粒よりも小さな芽をつけいっせいに若みど
りの息吹きをあげはじめるんです。そして日ごとにみどりの輝
きを増しアッという間に蔦若葉に変貌し、やがて夏を迎えるの
でした。

〈かそけくも〉小さな小さな蔦の葉っパの赤ちゃんの一粒一粒
の声が聞こえるんですよ。小さないのちは、それぞれ懸命に生
きている一つ一つ、大切な存在です。あらゆる生物が、あらゆ
る人間が、かけがえのないいのちを生きています。

母親であるヒロミさんは重度の障害をもつ天音ちゃんを見つめ、
あるがままの美しさにうたれます。銅版に彫りこまれたきびし
くあたたかい線。ほんとうに美しく、生きています。

健康な人のたくましさを表現することはすばらしいかもしれま
せんが、いわばアタリマエ。美人をより美しく描いてもツマラ
ナイ。首さえ坐らない天音ちゃんの大きな眼、しばしばけいれ
んを起こすねじくれた腕や脚、本当に美しいんです。

私の勝手な語感かもしれませんが、「美しい」と書く時、その
絵はタブローの中で死んでしまう、飾られた表面的な美しさに
なってしまうような気がします。

「うつくしい」は「現」にも通じる在るがままのいのちを伝えて
くれます。出産時以来のお母さまの痛恨は涙なしには語ら
れません。(五つの著書の一冊でもぜひお読みいただけれ
ばと思います)

 天音ちゃんは十九歳で亡くなってしまわれました。重い宿命
の枷を負って成長していった天音ちゃんをお母さまはロマンテ
ィックな花や小鳥や星や月でかこまれています。悲哀を愛によ
って包み込まれたばかりでなく、天音ちゃんが宇宙的な存在で
あることをみなさんは感じとられるでしょう。

 うつくしいいのちの祭り−
 みなさんもこのいのちの響きに参加してくださいね。

◆これらの文は、「反日を考える会・宮城」発行の
ミニコミ「プチの大通り」77号(2006年4月15日刊)に
掲載されたものです。
by amanedo_g | 2006-04-18 17:06 | Hiromi Yamaguchi
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