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画廊内でインタビュウ

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山本可南さんの紹介で、取材にきた読売新聞のT記者が堂内を撮影している。私たち夫婦へのインタビュウ記事が2月中旬に掲載されるらしい。





●「こども←→おとな」伝えたい[生きた証し]第2部(3)…樽本安友記者

【娘が刻んだ命 絵に託す◆思い出をギャラリーに】

 多くのライトは壁に飾られた25点の銅版画や水彩画を照らす。どの絵にも、
大きな目をした少女が描かれている。「いのちの椅子(いす)」と名付けられた
大きな水彩画。二人掛けのソファに、少女が母親のひざの上に抱きかかえられ、
何かを伝えたそうな表情でこちらを見つめている。

 絵に描かれた少女の名前は天音(あまね)。19歳で亡くなって5年が過ぎた。

 画廊の絵は彼女の母親、ヒロミさん(60)が描いたものだ。

□   ■

 山口平明さん(62)、ヒロミさん夫婦の間に生まれた天音さんは、出産時の
事故で重症の脳性まひになり、しゃべることも笑うこともなかった。医師からは
「治療するすべはない。明日までの命かも知れないし、1年2年かも。いつ亡く
なってもおかしくない」と言われた。

 ヒロミさんは介護のために小学校の教師を辞めた。「目の前に生きるか死ぬか
のわが子を置いて外に出て行くことはできなかった」。24時間、片時もそばを
離れられない生活が続いた。

 首がすわらず、寝たきりの状態。哺乳(ほにゅう)瓶で食事を取り、おなかや
あばら骨を大きく動かし、ハトの鳴き声のようにのどを鳴らしながら息をする。
呼吸するだけで精いっぱい。2000年10月に亡くなった時、身長約90セン
チ、体重はわずか7キロしかなかった。

 いつ消えるかわからない命の炎だったが、決して弱々しくなく、激しかった。

 ギャアー。大きな叫び声が家に響く。ヒロミさんらに「抱いてほしい」と懸命
に“抱っこ”を求めているのだ。

 わずかな眠りの時間以外は、ほとんど夫婦どちらかに抱かれて過ごした。抱っ
こでソファに座っていれば、呼吸の苦しさやけいれんなどのつらさに耐えられる
ようだった。いのちの椅子は天音さんの安らぎの場だった。

 自由に動くことも、食べることも、そして話すことも奪われているけれども、
生きようとしている。今、生きていることが大切だということを、天音さんは強
く感じさせてくれた。

 「重い障害を持って人知れず死んでいくのはあまりにも悲しい。社会の中にそ
の存在を刻ませておきたい」

 そんな思いから、平明さんは、ヒロミさんと一緒にミニコミ誌「あまね通信」
を発行。A5判の小さなものだが、1988年の創刊から亡くなる3か月前の2
000年7月まで、12年間で85号まで数えた。挿絵はヒロミさんが担当し、
銅版画を始めるきっかけにもなった。

 夫婦それぞれが、暮らしぶりなどを伝えた本を出版するたびに多くの反響が寄
せられ、天音さんを通じた交流の輪が広がった。

□   ■

2003年、山口さん夫婦は自宅近くのマンションの一室に画廊「天音堂(あ
まねどう)ギャラリー」を開いた。一角には天音さんの祭壇を置き、“祈念堂”
の役割も兼ねる。「お墓も仏壇も何か違う。いつでも天音と出会える場所を作り
たかった」と言う。

 28日まで開かれるヒロミさんの銅版画展。ほかにも、「つちびと」と呼ばれ
る陶製の人形が並ぶ。背中に天使の羽を生やした少女が、父親の胸に抱かれて、
気持ち良さそうに眠っている。昨年、陶人形作家の山本可南さんが作品を寄せた。
生前の彼女と会ったことはないが、本や絵などからイメージして人形を作り上げ
たという。

 天音堂を通じて、今も天音さんと出会うことができる。小さくても力強い〈い
のち〉の物語に出会える場所が、都会の片隅にある。

 「ここに天音はいないけれど、どこにでもいるような気がするでしょう」

 平明さんはほほ笑みながら部屋を見渡した。 (樽本安友)

◆写真説明◆
◇母親のヒロミさん(左)が描いた天音さんの絵を見る平明さん(大阪市西区の
天音堂ギャラリーで) 大阪市西区。ミナミの繁華街からほど近いマンションの
一室の2LDKを改造し、画廊として生まれ変わった部屋は、温かな光に包まれ
ていた。
◇天音さんがヒロミさんに抱かれたまま多くの時間を過ごした「いのちの椅子」。
ヒロミさんが水彩画で再現した。

○天音堂ギャラリーは大阪市西区南堀江1の18の27、四ツ橋セントラルハイ
ツ6階(電話06・6543・0135)。 [2006年02月16日 読売新聞朝刊]
by amanedo_g | 2006-02-09 19:53 | memory平常展示
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