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【31日】よそのブログ

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2008年05月27日(Tue)
天音堂ギャラリーの梅田恭子展 [Art]

25日の日曜日に天音堂ギャラリーの「梅田恭子 水底ニ吹ク、風」を見てきた。版画用紙に直接ドローイングした蜜蝋画と、銅版画モノタイプを含めて30点の展示と案内にあった。作品点数もほとんどが蜜蝋画で、また存在感も圧倒的に銅版画よりも大きかった。初めて見るせいかとても新鮮だった。とくに盛上がった光沢のある凹凸が魅力的で見飽きない。

蜜蝋画は比較的小さなサイズの作品で、しかも用紙の余白をたっぷりと取っているので、描画部分はさらに小さい。その中に作家さんの緻密な世界が広がっていた。はじめはその世界に入っていくのがちょっと大変だった。苦痛のような快感を抱きながら、作品に最接近したり離れたりと眺めていた。

天音堂さんは数年前に紹介されて2度行っているけど、25日は久しぶりの鑑賞だった。奄美大島の黒糖焼酎を振るまわれ、グラスを手にどっかと座りこんで作品を眺めていたら、何かに気づいた。

始め、苦痛だと感じたのはスケールの違いだと気づいた。たぶん、ぼくの1ミリは梅田さんにとってはかなり大きな間隔だとおもう。梅田さんにとって1ミリもあれば、そこにかなりたくさんの情報を表現することができるのだ。それは緻密な表現と言ってしまうのは不十分で、スケールの相違が横たわっているのだと思う。

例えば、ブリューゲルの展覧会の時も作品の小さいことに驚いた。人物や動物や鳥のいる風景が緻密に描かれていた。たぶん、その場合も感覚的スケールが違うことの驚きがあったに違いない。でも、ブリューゲルの絵の場合は、山とか家とか人間を見ることで、スケールの修正がわりと素早くできてしまう。

梅田さんの作品は抽象画なので、スケールの基準になるものがない。しいて言うなら精神的な部分のスケールの相違だと思う。作品に没入しようとすると、作品の精神的スケールにぼくの方が自分のスケールを修正しなければならない。それが、苦痛のようが快感だったんだと思う。

作品を前にしてこのようなスケールを考えるのは今回が初めてだった。おそらく、今までに見た多くの作品はスケール感が大きかったり普通だったりで、その場合は抵抗なく作品の中に没入できたはず。だからスケールを意識することはなかったのだと思う。しかし、メープルソープ展で巨大な印画紙に焼かれた花の写真を見たときの戸惑いをもう何年も引きづっていたが、これも今回のスケールのことで理解できるような気がした。

〇原文
http://page.sgy3.com/index.php?ID=1696
by amanedo_g | 2008-05-31 20:14 | archive 画廊風景
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