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【6月1日】美術ライター・岡部万穂さんの大阪紀行

【6月1日】美術ライター・岡部万穂さんの大阪紀行_f0040342_1521488.jpg
★5月にひきつづき梅田恭子さんの個展を
一部展示を入れ替え、
新たに銅版画旧作を加え開催します。

★前月開催の「梅田恭子展」に
序文「水底ニ吹ク、風――まだ名もなきドローイングに」を
寄せてもらった岡部万穂さん[写真・左]が
東京から同展を見に来られたので紀行をお願いした。
左下の[More]をクリックして
岡部さんの紀行文をお読みください。お勧めです。

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六月天音月 梅田恭子 余韻ノ音
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2008年6月2日(月)~28日(土)
★★★午後3時から7時★★★※水曜と日曜は休廊です

〇版画用紙に直接ドローイングした蜜蝋画12点と
モノタイプ(銅版)3点と、銅版画22点を展示します。
(作家は在廊しません)



梅田恭子《水底ニ吹ク、風》を見に 堀江 天音堂ギャラリーへ

 5月24日、大阪の堀江にある天音堂ギャラリーに、梅田恭子さんの展覧会を見に行った。3月に梅田さんにお会いしてお話する機会があり、今回の展示は絶対に見に行こうと決めていた。また、天音堂ギャラリーの“堂守”ことオーナーの山口平明さんの著書『不思議の天音』を梅田さんに借りて読み、画廊に行ってみたいと思っていた。そして、大阪は私の母が娘時代を過ごした場所でもあり、母方の親戚は現在も皆大阪に住んでいる、馴染み深い場所でもある。子どもの頃、母に連れられて、夏休みに大阪の祖母の家に遊びに行ったことが懐かしい。“きんだちょう”というところだった。長屋が何棟も並んでいて、それぞれ別々の棟に、祖母、母の兄一家、弟夫婦が住んでいた。長屋の裏手には小さいパン工場があり、地元の子どもたちとパン工場の窓にずらりとへばりついて中をのぞきこんでいると、作業中のおじさんがにやっと笑い、できたてのパンをいくつか窓越しにくれるのだった。アンパンやクリームパンはほかほかと温かかった。新幹線の中で追憶にひたる。私にアサガオの苗を見せてくれた、あの優しいお兄ちゃんはどうしているだろう。通路を挟んだ隣りの席の大きな男性が、突然「ぐはっ」といびきをかき始めた。
 *   *   *
 なんば駅から地下道を上がると、もう夕方の5時近くだった。雨足が強くなっている。遠くにDNPの大きなビルが見えたので、そちらを目指して歩いて行く。道頓堀の川岸は工事中で、石造りのおしゃれな遊歩道ができていた。どこかで雨をやりすごしているのだろうか、植えこみの陰に段ボールと古い毛布がかためて置いてある。

 天音堂ギャラリーは床も壁も白く、静かで、外は雨なのにほのかに明るい感じがした。著書の文体の印象から、勝手に関西の陽気な“オッちゃん”を想像していた山口平明さんは、小柄な、静けさをたたえた方だった。雨に濡れた私の旅行カバンを、小さくたたんだ吸い取り紙で丁寧に丁寧に拭いて下さった。明るい窓際に小さな祭壇がしつらえられており、19歳で亡くなられた、画廊の名前にもなっているお嬢さんの天音さんの写真が飾られている。大きな、黒い、とても静かな目をして、沖縄風のアップにまとめた髪型をしている。11歳の頃のお写真だそうだ。岡本太郎の太陽の塔のてっぺん部分をもっとファンキーにしたような不思議なかたちのお骨の壷が面白い。奥様のヒロミさんは、社員旅行で沖縄を旅行中とのことでお留守だった。

 梅田さんはこの展覧会の期間中、画廊近くのウィークリーマンションに滞在して、平明さんの自転車で毎日画廊に通っているという。梅田さんはそういう人だ。窓際の小さなテーブルを囲んで、お茶をいただいた。外はだんだん薄青くなってくる。今日は雨で静かだが、下の通りはデモのルートになっていて、晴れた休日は賑やかなのだそうだ。
「プラカードや横断幕を持っているんだけど、上から見ると、何を主張してるのか見えません。」と平明さんが言った。

 通りを挟んだ向かいに小さなレストランがあり、結婚式が行われていた。風に乗って、司会の声や賑やかなざわめきが昇ってくる。梅田さんと並んで窓の外を眺めた。レストランの中で、真っ白なウェディングドレスが動くのが小さく見えた。
「暗くなると、白が光ってきますね」と梅田さんが言った。空気が染めたように青くなり、暗がりの中から道路の一時停止の線や、自転車や、看板の地色や電線のがいしが、海底に沈んだ白い貝のように浮かび上がってくる。
*   *   *
 梅田さんの今回の作品は、BFKリーブという版画用紙に直接描かれている。BFKリーブの中でも、白ではなくグレイのぶ厚いものだ。それらが、虫ピンを使って、壁に直接止めてある。それも平坦に並べるだけではなく、正面にあるかと思えばうずくまらないと見えない位置にあったりするので、見る側もしゃがんだりかがんだり、身体を張って見なければならない。そういう展示の方法は、梅田さんの展示では珍しいことではないのだが、これは油断できないと思った。繊細な雰囲気に引きこまれて顔を近づけると、紙の表面には思いもかけない激烈な筆致が叩きこまれていた。部分的に使われている赤は、まるで血液のようだった。引っ掻いたような筆触の間から漏れ出す水色は涙に見えた。これまでの梅田さんの作品が精神なら、今回のはまさしく肉体だと思った。「ドローイングの作品」などと何気なく言っているが、ドローイングとは“生身”ということなんじゃないか、と思った。血と涙。精神と肉。かぼそい肉をつなぎとめる骨。内臓。ぐちゃぐちゃの悲しみ。痛みの中から音楽を聞き取ろうとする耳。それらはただ感情的に叩きつけるのではなく、一つの旋律になっていた。「絵になる、ということは成立させること」なんだと、以前梅田さんは言っていたが、それは単にまとめるということではない。長い長い時間をかけて、格闘し続けるということなのだと思った。そう考えると、胸がかあっとなってくる。

 夜、山口県から梅田さんの従姉のノリコさんがいらした。突然思い立って、立ち寄られたそうだ。夜、画廊を閉めてから、平明さんと梅田さん、ノリコさんと4人で「北極星」というオムライス屋に行く。このお店は日本で初めてオムライスを出した店なのだそうだ。箸袋を見ると、ホルモン焼きの発祥の店でもあった。ノリコさんに、梅田さんはどんな子どもだったのか聞いて見る。梅田さんは弱いものいじめをするガキ大将に敢然と立ち向かっていく子だったそうだ。じっと睨みつけたりして、しょっちゅうケンカをしていたという。やっぱり、強い人なのだ。
 *   *   *
 朝、ホテルの部屋でテレビをつけると、新日曜美術館を放送していた。辺見 庸がイタリアの写真家マリオ・ジャコメッリについて語っている。以下、メモの抜き書き。
“ジャコメッリは養老院の老人たちを撮るために、1年間カメラを持たずに養老院に通い、老人たちと仲良くなった。そうして知り合った老人たちに、ジャコメッリは強いフラッシュを当てて撮影する。辺見 庸が解説する。「死を目前にした老人たちに向かって、彼は容赦のない強いフラッシュを浴びせている。これはつまり、表現したかったということなんですね。神をも怖れない方法で。」”

 昼過ぎに再び画廊へ行き、梅田さんにインタビューをした。といっても、改まって聞くことはもうないような気もしていて、ただテレコを回しっぱなしにしているだけのような感じだった。会話が途切れたところで、作家のSさんが来廊する。ファンキーなお骨の壷の作者である。ついさっき、Sさんが以前天音堂ギャラリーで個展をしたときのDMを見せていただいたところだった。どくろの上にジャングルジムのような幾何学的な立体が生えているようなオブジェで、見に来た子どもが怖がって泣き出してしまったそうだ。現在は陶芸はやめて文筆に専念されているという。Sさんはよく通る大きな声で、「見せてな!」と言いながらつかつかっと入ってくると、はね上げ式めがねのレンズを上げたり下げたりしながら、すごい勢いで作品を見始めた。

Sさん「“モノタイプ”てなに?」
梅田「1枚しか刷れない版画です。」
Sさん「あそ。1枚しか刷れんの?」
梅田「版に絵を描いて、それを転写しているんです。」
Sさん「次したら全然違うやつが出てくるわけや。もういっぺん一から絵を描いてるのと一緒やな。元版に一つの絵を描いとるだけのことやな。」
梅田「そう、そう。」
Sさん「それを“モノ版”いうんや。」
平明「モノタイプ。」
Sさん「……人間と一緒や。みんな1回しか刷られへん。なっ! これ面白いな。これもモノ版?」
梅田「そうです。」
平明「だから、モノタイプ。」
Sさん「え?」
平明「モ、ノ、タ、イ、プ!」
Sさん「モノタイプのタイプて、タイピングするのタイプやな。写すゆうことやろ? タイプライターのタイプやろ? 打ついう意味やろ? 辞書引いてみい。ほら、言葉の人、はよ引き。あほ!」

 平明さんは私たちに「ちょっと耐えてくださいネ。」と言って澄ましている。Sさんはもうどんどん別な作品を見ながら、赤い色合いの絵を見て「これは獅子舞やで。」などと、想像の翼をわっさわっさと羽ばたかせている。「アッ。こんなタイトルついてたら考えさせられるなー。“務行”。何て意味? 待って! 何も言わんとって! 考えるから。」「この作品は全体の古さでいったらどのくらい? エッ、新しいの?! わー、そうか。恋しとるんやな。これは恋やで。」「“ため息銃”か。おもろいな。」……、Sさんは一回り、じっくりと見て、「これ一発モンか。じゃあこれにして。」といって、モノ版画の作品を1枚買い、嵐のように去って行った。梅田さんは「これからモノタイプのこと、モノ版画って言おう。」と言って、そっと笑った。

 日曜日はよく晴れていて、画廊にはいろいろな人が来た。東京から来られた方もいた。梅田さんのお友達、それから山口さんご夫妻のお友達、作家の方。人の輪が大きくなったり小さくなったりした。こういうことを展覧会というのだな、と思った。

 以下再び、新日曜美術館の辺見 庸の言葉の抜き書き。 
“どうしても何かを表現したくなる――死ぬとわかっているから。死、そこから又わからないものが生まれるかもしれない。それを作るために、それを徒労とわかっていながらも作り続ける虚しさ。それが、素敵だなあと……(暗転)”。
*   *   *
 短い時間だったが、余韻が強く残り、帰りの新幹線はのぞみには乗らずにひかりで帰った。ちなみに“きんだちょう”は、平明さんにも誰に聞いても、大阪市内では聞いたことがないとのことだった。おそらく市町村合併か何かで町名が変わったのだろう。

 展覧会は26日で終了してしまったが、6月2日~28日まで、作品を掛け替えて展示が続いているそうだ。(美術ライター・岡部万穂)
                    
by amanedo_g | 2008-06-01 23:45 | archive 画廊風景
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