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【平明文集】☆「そぞろ通信」21号☆2003-6-16配信分

〇堂守こと山口平明が過去に書いたテキスト(文章)を再録転載しています。
ご興味のあるかたは、左下のMoreをクリックしてご覧ください。




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★そぞろ通信★6月号*2003-6-16
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発行☆山口平明(天音閑々堂)
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■もくじ■

[1]漫歩系_前田勝弘さんを偲んで(松下竜一氏訪問記)-山口平明
[2]抜書_エリザベス・ギルバート『巡礼者たち』-山口平明
[3]家事細見帖・食器洗いの巻-岡本尚子
[4]編輯後記-へいめい

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■1■漫歩系|吾懐無archive「草の根通信」1999年2月号...山口平明

  【前田勝弘さん追悼 人に逢えば感心してばかり】

 松下[竜一]センセとの話は、まったく、全然、すこしも、はずまない。
なのに席についてからもう二時間もたつ。あの秘蔵の夫人はお茶と羊羹
をそっと置いてひっこんだきり。私たち二人のあいだは気づまりではな
いものの、黙っている時間のほうが長かったのはたしかなのである。他
人と対していて間がもたないで困るという経験はこの人にはなかったの
であろうか。困ったもんだ。

 もっと困るのは電話の松下センセである。締切りに遅れるほうが悪い
のだがいきなり、松下ですが原稿どうなってますか、と用件を切りだす。
挨拶も序詞もなし。あの畏敬の対象であるお方からのじきじきの電話と
いうので、こっちはカチンカチンなのに、まるで斟酌なくアイドリング
(暖気運転)のかけらもなく用件だけ、持病の心臓の不整脈が騒ぎだす。

 急ぎの用件ではなくくつろいだ感じが伝わる電話もあったけれど、そ
もそも当方の電話が苦手というのもあってそのときは条件反射で僕が緊
張してしまいあわてて怖いもの知らずの妻のヒロミに受話器を押しつけ
てしまう。

 この日、センセ宅で気づまりでなかったのは、電話とちがい顔が見え
るし仕事部屋のゆったりとした雰囲気がよかったのである。僕には姉し
かいないが、松下さんが無口で無骨な長兄のように感じられた。こちら
が難事にぶつかっているとき、手をさしのべてくれる兄さんみたいに。

 割引があるので往復切符を買ってあり、そろそろ帰る電車の時間であ
る。楽しみにされている夕方の散歩の時間を、僕がうばってしまったの
だったとは後で気づいたことだった。松下夫妻に戸口まで見送ってもら
い、中津駅に向かう。振りかえると、洋子夫人の姿は消えており、自転
車を軒下に寄せようとしているセンセひとりが見えた。あの左手の方向
には小祝島へ渡る橋があるはずだ。あそこで営まれていた豆腐店の昔か
ら現在まで何年になるのだろう。暗くなった福沢通りを歩く僕の胸に、
生の哀しみという感傷がこみあげてくる。間近で松下さんに接して、僕
も精一杯書いて生きていこうとの意欲もまたわいてきたのだった。

 駅への曲がり角で妻君に電話をかける。「いまねえ松下さんから、今
うちを出て駅へ向かったって電話があったよ」なんちゅうこっちゃ。僕
の動静は本部に筒抜けやないか。

 センセからはつづけて二回も電話があったという。二度目のは僕の原
稿でおかしな部分があり訂正しておく、という用件のみ。そういえば仕
事部屋の入口にあったファクシミリの器械からつぎつぎと紙がはきださ
れていた。あれはきっと「草の根通信」十一月号の校正だったのだろう。
客を送り出し、すぐさま校正の仕事にとりかかっていたのだ。作家であ
るとともに二十五年余にもおよぶミニコミ誌編集者・松下竜一の黙々た
る姿に接して、僕も怠けておれないぞと脳卒中後遺症のよれよれ無気力
男はその場かぎりの神妙な気持ちになるのであった。

 中津駅18時48分発の特急で小倉にでてそれから新幹線「のぞみ」に乗
り換え、新大阪駅21時38分着と往路を逆にたどる。中津駅構内の電光表
示板で時刻をたしかめ、近くで夕飯でもと思案していたら、そこへ「山
口さん」と女性の声。そちらのほうを見ると、お昼に会った梅木喜与子
さんが笑顔で立っているではないか。昨夜、日吉旅館での交流会で僕が
切符を見せてオダを上げていたとき、脇からしっかり電車の時刻を見て
いて勤めの帰りに見送りにきてくれたちゅうわけである。切符を見せた
なんて僕はまったく覚えていない。困ったもんである。焼酎に酔って躁
状態で勝手な気炎をあげていたのでありましょう。

 ともあれ梅木さんは脳卒中後遺症のヨロヨロ男を気にかけて見送って
やろうと、仕事をすませてわざわざ寄り道してくれた。全集刊行記念の
図録『松下竜一その仕事』で、センセ四十五歳の一九八二年九月一日の
項に《梅木千里さんが自宅前の小学校二年に正式入学》とでている。一
九八一年六月生まれの天音はこのころまだまだ生と死のあいだを行き来
していたのだった。

 前にふれた小説『小さなさかな屋奮戦記』の第十三話「車椅子のチー
ちゃん」で地域の中学入学を拒まれて、梶原得三郎さんや松下さんらが
梅木夫妻(作中では松木となっている)とともに市教育委員会と交渉す
る場面がでてくる。

 松下さんは喜与子(文中では君子)さんのことを《もう六年前の君子
ではなかった。光代や得さんや間島(松下センセ)を知ってからの君子
は、泣き寝入りをやめてしまった。障害者であるからといって世間に遠
慮して生きる限り、とめどなく後退していかざるをえないと悟ったのだ》
と書いている。ここにも勁い母、障害をもつ子の母がいる。わが家にも
約一名おりやす。喜与子さんは大阪出身とのことで、なぜ中津に住んで
いるのか、あれこれ聞きたかったが、発車時間は迫っている。あわてて
構内の店でうどんを食い、コインロッカーから荷物を引き出し、またの
逢瀬を約しつつ人妻と別れたのであった。

 帰ってきてから考えた。僕も無駄口をたたかず、松下センセのように
沈黙することに平気になろうと決心した。しかし妻君と家にずっと一緒
にいるとついついおしゃべりになってしまう。重石のような謹厳さもへ
ったくれもあったもんじゃない。軽い、薄い存在でしかない自分が情け
ない。しゃべらずにいたら、口の中がねばねばし苔が生えてきそうなん
である。重厚なんて僕には不似合いだとよく判った沈黙行の数日であっ
た。

 中津からもどった翌月、一九九八年十一月、月に一度の病院行き、こ
の日は三か月に一回の診察日である。あとの二か月は薬をもらうだけだ。
入院時の若い主治医の名札が見えないので、受付で聞くと転勤したとの
こと。いつものように脳神経外科部長の診察を受ける。手術から一年た
つし彼の受け持つ患者は多すぎるから、次回より別の医師に診てもらう
ようにすると告げられる。九七年九月一日に手術を受けたのだった。一
年たてば元気になるよ、と妻君や周囲の人たちに励まされてきたその一
年が過ぎたのだ。十六キロも減った体重がこのところ四キロほど増えて
きた。

 一月七日、薬を受けとって散歩がてらに少し歩いて帰ろうと病院をで
る。JR環状線「森ノ宮」駅から高架にそった玉造筋を南下する。そう
いえばこの先の真田山公園のあたりで、詩人の宗秋月さんが喫茶店を開
いたと新聞記事にでていたと思いだす。住所も電話も分からない。見つ
からなければ、来月調べて来たらいいとぶらぶら歩いていたら、道沿い
にある信用金庫からでてきた女性がなんとまあ秋月さんその人なんであ
る。両替にきたの、火をかけたままお客さんに店を頼んできたから急い
で帰りますが、ちょっとこの先にありますから寄ってください、と言い
のこし自転車にまたがりさーっと走り去ってしまった。小さなビルの一
階にあるそのお店の名は「風まかせ 人まかせ」という。新聞記事によ
ると開店の事情はこうなる。

 《脳こうそくで倒れた映画プロデューサーの前田勝弘さん(58)と、
交通事故の後遺症で苦しむ在日韓国人の詩人宗秋月さん(54)。二人の
「現場復帰」を願う知人らが力を合わせ、リハビリと今後の活動の拠点
となるスペース「風まかせ 人まかせ」を天王寺区玉造本町につくった。
宗さんを中心に運営する一階の飲食店では自然食にこだわり、前田さん
の住居を兼ねる二階では様々な催しを計画。リハビリ中の二人への刺激
になると同時に、いろんな人が出会い、語らい、表現できる場を目指す
という。名前には「互いに助け合って気楽にやろうよ」との思いを込め
ている》(「朝日新聞」98年10月25日付朝刊大阪版より)

 二人の共通の知人である大阪の映画館「シネ・ヌーヴォ」支配人の松
井寛子さん(51)が中心になって運営を支える会員を募り、二人の現場
復帰を願う友人知人らの協力により一九九八年七月に開店したという。

 宗秋月さんとはある作業所を通じて知り合った。彼女が九六年四月に
四〇〇㏄のバイクにはねられてひどい目にあった経緯は『示談 交通事
故100%解決術』(九七年十二月影書房刊、小井塚達雄著)で読んで
知っていた。前田さんとは初対面だ。一緒のテーブルでランチを食べ、
近所を脳梗塞の男二人でひとまわりした。公園のベンチで前田さん製作
の映画「サード」の話をした。僕より三か月前に倒れた前田さんのリハ
ビリ生活の様子は、テレビドキュメンタリーで描かれていて、僕はこれ
もたまたま見ていた。

 お二人も僕も命を拾った者同士である。『示談』のあとがきで秋月さ
んは《この世に未練はなかったのに、この世が私に未練を持ってくれた
と感じ生きている、生かされていることの有り難さは、私に私の仕事を
しろということだったのかと思った》と書く。

 家に帰り着き妻のヒロミに、道でばったり秋月さんに会ったと話すと
「ほんまにうまいこと人に出会うなあ」と感嘆しつつ「偉い人に出会っ
て感心ばっかりしてんと、自分もしっかり書いていかんとあかんがな」
と諭されるのであった。 (一九九九年一月執筆)


★ [註]大分県中津市に住んで「草の根通信」を主宰発行している松下
竜一さんを、一九九八年秋に訪ねて行ったときのことを同通信に何回か
に分けて書いた。上の一文はその最後にあたる。連載エッセイの題は
「なぞなぞ少女との共棲」で、その23回目の見出しは「人に逢えば感心
してばかり」であった。文中に出てくる天音も姉も死んでしまった。な
お、拙著『不思議の天音』にはこの文は収録されなかった。
「そぞろ通信」電子チラシ030613版で、前田勝弘さんの死についてふ
れた。新聞記事のサイトを記しておきます。参照してください。
http://www.sankei.co.jp/news/030503/0503bun010.htm

また、前田さんが監督した記録映画「公害原論」には、豊前火力発電
所建設計画に、松下さんらが反対して環境権を提起したことがとりあげ
られている。前田さんは松下さん宅に約束なしで撮影に押しかけ、松下
さんを怒らせたらしい。「公害原論」のサイトも示しておきます。
http://www.cine.co.jp/works1/list/70_9.html

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■2■お気に入り章句vignette........................山口平明抜書

【エリザベス・ギルバート「東へ向かうアリス」】

《アリスはロイのほうを向いて話しだした。「上から二番目の兄はジ
ャッドっていって、やっぱりオツムが弱いの。家を出たっきり、三年間
まったく音沙汰がなかったのよ。死んだのかと思ってた。ところがある
日の午後、ママに電話がかかってきて──」……(略)……
「ママが出てみると、ジャッドからの電話だったの。『あ、ママ? 』っ
て、まるでその日の午後、半日だけ出かけたみたいに言うわけ。『あの
さ、ママ、いま、ニュージャージー州の新兵募集センターにいるんだけ
ど、ここの親切なおばさんが、軍隊に入ったら一日三食食べられて、新
しい服ももらえるっていうんだ。それでさ、ぼくの社会保障番号って何
番だっけ? 』だって」
「で、ジャッドは入隊しちゃったの……(略)……ママはね、軍隊ってい
うのは、うちの兄弟みたいなばかの唯一の避難所だっていうのよ。ビー
トだって、あたしと一緒にフロリダに行かなかったら、たぶん軍隊に入
っておしまいじゃないかな」》
(短編集『巡礼者たち』所収、岩本正恵訳、新潮社一九九九年二月刊)

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■3■家事細見帖/食器洗いの巻.........................岡本尚子

水道水 手にはっきりと 夏立ちぬ

 思いたって、茶ワン、皿、ボール、なべなど、いったい一日何個洗っ
ているのか数えてみた。ある一日、151個であった。意外と少ない。
別の日時間で計ってみた。朝、32分、昼11分、夜47分であった。
90分!?おろか者!食器洗い機を買いなはれ!と言われそうだが、買
う気がしない。専用の洗剤がいると聞いてまずビビる。ふだんはアクリ
ルたわしで、湯水洗い、よっぽど油がついているものだけ石けんで洗う
からだ。

 そして、食器洗い機にほり込む手間、とり出す手間を考えてしまう。
その上、その食器洗い機のそうじのことを考えてしまう。モノはあれば
汚れる…のだ。まあ、狭い台所に置くところもないのだけれどね。

 朝起きれば、昨夜誰かが使ったコップや食器がおいてある。寝る寸前
の仕事も食器洗いである。

 で、季節を感じるのは、春も夏も秋も冬も食器洗いの時である。タハ
ハ。

[平明軒独白]
《アクリルたわしで湯水洗い》は小生も同じ。夫婦二人だから食器の
数もしれている。夕食後の食器洗いをときどきやっている。油汚れのあ
のヌルヌル感は好かん。熱い湯をかける。紙で拭き取る。だがしかし、
そのうち「まっ、いいかあ」とヌルヌルを黙認しつつ桶に置く。脂っこ
い料理を食される中国人民の皆さんは、お皿のヌルヌルは気にせんので
しょうなあ。

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■4■編|輯|後|記..................................へいめい

★なんだか雑用でバタバタしていて「そぞろ通信」の原稿が書けそう
にない。それで五年ほど前、「草の根通信」に書いて単行本に入れなか
った数本のエッセイのうちのひとつをここに載せることにしました。毎
月の通院の帰り道に、前田さんが現れる喫茶店で昼食をともにしたもの
です。食後、目の前の真田山公園を手をかしながら二人でゆっくり歩き
ました。前田さんは杖に頼っていました。もしかしてぼくもこうなった
かもしれなかったわけです。これからだって脳梗塞の再発はありうるこ
と。せいぜい養生に努めたい。
★住んでいる堀江という町はここ数年、若者向けのお店やカフェが増
えてきています。雑誌やテレビ、あるいはインターネットで最新の情報
を見て、町に繰り出してくる若い人びとを眺めるのも、漫歩のひそやか
な楽しみ。堀江の町の賑わいに乗っかるわけではないけれど、「そぞろ
通信」の読者が集まれたり,ヒロミの銅版画を見てもらえるようなスペ
ース(たまり場)を近所で造りたいと思ってます。夢のようなお話であり
ますが、どうか支援のほどよろしくお願いします。 (平明)


◎本誌は【1行32字】で改行、閲覧には【等幅フォント】が推奨です◎
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月刊【そぞろ通信】6月号_#21□2003-6-16発行配信
創刊2001-10-16□「あまね通信」改題通巻106号
編輯発行人□山口平明(天音閑々堂)

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*「そぞろ通信」6月号korenite ohiraki koudoku otukaresamadeshita
by amanedo_g | 2008-08-22 20:30 | haymay 山口平明
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